2019年5月4日土曜日

敬意、忘我、そして情愛(2015年7月 網走~釧路~帯広)

 オジロワシが飛んでいる。背景にはオホーツクの海と雪をかぶった知床の山々。
 風景の話ではない。僕がこれから3時間ほど乗る列車のヘッドマークの話である。
 昔の国鉄特急のそれにありそうな古めかしいデザインではあるが、この列車が走る路線の見どころを1枚に集約していて見事ともいえる。
 3時間も世話になる列車である。ヘッドマークぐらいはきちんと見ておくのが、これから世話になる列車への敬意であり、礼儀だと思う。



 2015年7月19日、日曜日。
 昨日までの曇天は消え去り、ようやく北海道らしいさわやかな天気になった。その青空の下、網走駅の3番線に、釧網(せんもう)本線釧路行きの快速「しれとこ」が、そのヘッドマークを掲げて1両で停まっている。
 釧網本線は、網走から釧路のひとつ隣の駅、根室本線の東釧路までを結ぶ166.2キロの路線である。客の便宜を図って、列車はすべて釧路まで乗り入れている。
 車窓はオホーツク海、トウフツ湖、原生花園、知床半島に斜里岳と変化に富んでいて、冬には車窓から流氷も見られる。車窓の友には事欠かない路線である。
 定刻10時1分、エンジンの音とともに発車。14年ぶりに乗る釧網本線、どんな風景を見せてくれるかと思うと、エンジンとともに僕の心まで震える感じがする。

 車内で「座席の向きが変えられない」と観光客が憤っている。
 昨日の「きたみ」でも世話になったこの銀色の車両は、座席の座り心地はよいものの、座席と窓の配置が合っていない。柱の真横に据え付けられた座席もある。椅子の向きも固定されていて、場合によっては進行方向に背を向けたまま3時間も列車に揺られることになる。風景を売りにする路線であれば、もう少し配慮があってもよいと思うが、幸いにして僕の占した座席は進行方向に座れるし、窓の位置とも合っている。


 網走から10分も走ると、その窓からオホーツク海が見え、遠くに知床半島がかすむ。グループ客から思わず歓声が上がるのが聞こえる。今の日本で、列車からオホーツク海を眺められるのは、この釧網本線しかないと思うと、歓声を上げたくなる気持ちはわかる。今はおだやかな波が渚に寄せては返しているだけであるが、冬は見渡す限りの流氷に埋まり、それを見せるためのトロッコ列車も走るという。真冬の北海道で窓のないトロッコ列車に乗るなど考えたくもないことだが、人をそこまで駆り立てるほどの車窓ということであろう。
 だが、海と反対側の風景はどうだろう。僕はこちらのほうが釧網本線らしさがあってよいと思う。車内のほとんどの目は、海のある進行方向左側に向いているが、それに逆らって右側に目を転じると、広漠とした原野とトウフツ湖が広がっている。その雄大さはとても日本の風景とは思われず、どこか知らない国に来たような錯覚さえ覚える。


 知床斜里10時46分発。このあたりで線路はオホーツク海と別れ、内陸に進路を取る。左後ろには知床半島の山並、前方には斜里岳が見える。前景は広大な穀倉地帯で、小麦やジャガイモを盛んを作っている。
 その畑の中に、見慣れない葉っぱをつけたものがある。サツマイモにしては葉が貧相だし、ダイコンにしては葉の密度が濃い。サツマイモは暖かいところを好むので、北海道では栽培できるのかわからない。葉の密度はさておき、とりあえずダイコンかと推測するが、やはり確信が持てない。
 こんなときは文明の利器に頼る。手元のスマートフォンからツイッターで誰となしに問うと、テンサイではとの答え。砂糖の原料となるあれである。テンサイについて説明したページを開くと、写真と眼前の葉っぱは確かに似ている。解説の『別名サトウダイコンとも呼ばれる…』とまで読んで、すわ「近からず遠からずか」と思うが、続けて『ダイコンとは縁遠い』との一文があり、肩を落とす。


 緑という駅を過ぎると、列車は切り通しを登り始める。その斜面に、大人が両手を広げたぐらいはあろうかという巨大な葉っぱが群生している。それこそ傘の代わりにできそうなぐらい大きい。蓮のように見えるが、地面は沼ではなくしっかりとした黒土であるし、見た目の気味が悪いと嫌われている蓮の実もついていない。ラワンブキであろうか。
 クリスマスツリーのようなエゾマツと、おかいこさんのような模様の白樺とが仲良く生えている森の中を、列車はのんびりと、だがエンジン音は猛々しく歩んでいく。緑という駅が皮肉に思えるように、車窓は緑だらけである。そのうちに汽笛がピョーと鳴ってトンネルに入る。とたんにエンジンの唸りが止んで、タタンタタンと軽やかに下り始める。どうやら峠を越えたらしい。

 峠を降りた先にある川湯温泉で8人ほど降りていく。ここには温泉もあるし、霧で有名な摩周湖にも近いが、いつもの例で僕は名所旧跡には目を向けず列車に乗り続けなければいけない。
 無論、手段と目的が逆転している自覚はある。それは本当はよくないことだとは思うが、時間の制限はいかんともしがたい。もっと自由に使える時間がほしい。北海道を3日で回ろうというほうが傲慢であるが、僕が今置かれた社会的な立場からすると、その3日ですら捻出するのが難しい。旅を趣味にしてしまったがゆえの苦しみである。


 窓から吹き込む風が心地よい。列車の揺れもあいまって、つい居眠りをする。
 目が覚めると、標茶(しべちゃ)の手前であった。標茶では対向列車との行き違いのため少し時間がある。せっかくなので、目覚めの背伸びがてらホームに降りてみる。その片隅に『標津線起点』と彫られた木の杭があるので近寄ると「寄贈 釧路営林署 標茶営林事務所」とある。標津線とはこの標茶から分岐し、オホーツク海沿岸の根室標津と、途中の中標津で分岐して根室本線の厚床までを結ぶ路線であった。このあたりの森林資源の開拓と運搬のために建設されたが、利用者減少のため、1989年に廃止されている。昨日の遠軽の時と同じように、僕が乗れなかった路線を前にして唇をかむ。北海道は廃線が多いため、旅の道中でしばしこういう悲嘆に暮れることがある。


 標茶12時38分発。地図を見ると、このあたりの右の車窓は釧路湿原のはずであるが、森が視界を遮り、一望というわけにはいかない。森を透かしながら湿原を見る。
 湿原といっても、傍目に見るとただただ広漠たる原野なので、列車から見ている限り、言われなければそれが湿原だとはわからないかもしれない。木々の茂った車窓を見ていると、列車からは湿原を見せまいという未知なる意志が働いているような気がするし、車窓からその全貌を把握しようなど笑止といった風にも見える。やはり列車に乗っているだけではダメで、一度は降りなければいけないのだろうと思う。
 塘路(とうろ)という駅に着く。駅名標のローマ字のフリガナが「Toro」なので、思わず「へぇ、あんたもトロって言うんだ」などと思う。ひょんなことから人に「トロ」と呼ばれるようになって既に10年以上、「トロ」は僕の本名なのではないかと思うことがある。
 その塘路から、湿原を見てきたらしい人々がたくさん乗ってくる。小さな子どももいて、車内は急ににぎやかになる。こんな小さな子どもですらその目で湿原を見てきたというのに、三十過ぎのおじさんは列車に乗っているばかりで何をしているのかと思う。そんな僕の思いとは関係なく、車内はにぎやかなまま13時27分釧路着。


 釧路では次の列車まで2時間ある。昼食と、あわよくば酒をと思い、釧路駅を出る。
 駅を背にして右に5分ほど歩くと「和商市場」がある。函館朝市、札幌二条と並んで、道内三大市場の一角を占める有名な市場である。海産物をはじめ、肉、野菜、花など何でも売っている。
 市場に入ると、ラーメン屋のおばちゃんが発泡スチロールの丼に入った白飯だけを販売している。何ぞやと思っていると、隣近所の魚屋の保冷ケースの魚介類を指差しながら「好きなものを好きなだけ取っていいよ」という。
 言われるがままに、小さな皿に載った魚介類のいくつかを選んで白飯の上に移乗させるが、それを見ていた魚屋のおばちゃんが「ほら兄さん、まだ白いご飯が見えてるよ。ご飯隠したいでしょ? ほらほら!」などと煽りたててくる。こういうのを商売上手というのだろうが、こっちもその気になって具材を次々と載せていくので、見る間に白飯は隠蔽されて、海鮮丼らしき一膳が出来上がった。
 白飯と具材の販売を分離したこれは「勝手丼」というシステムらしい。上下分離とはおもしろいシステムであるが、当然、具材の金額は従量制なので、欲張れば欲張るほど飲食代が青天井になる恐ろしいシステムでもある。ホタテ、エビ、イクラ、カニのほぐし身、エンガワ、ウニ、サーモン、タイを選抜して2000円ほどであった。金額はまだしも、痛風に悪い方向で効きそうである。
 腹は膨れたが喉は渇いたままである。まだ時間があるので、和商市場からバスに乗り、近くの「フィッシャーマンズワーフMOO」という商業施設にも行ってみる。酒を飲めるところはないかと探すが、それらしき店は見当たらない。肩を落として釧路駅まで歩いて戻る途中、路傍に気温の表示板が建っているので何となく見上げると、その下に「路温」という見慣れない表示がある。その表示は、ここが極寒の北国であることを思い起こさせる。


 釧路15時25分発の根室本線芽室行き2528Dは、北海道ではおなじみの白いディーゼルカー1両であった。これで帯広まで向かう。釧路で呑めなかった無聊を晴らすため、缶ビールと貝ヒモを買って乗り込む。冷房なしで暑いので窓を全開にする。
 車内は僕の他に中年の男性1名しか乗っていない。発車を待っていると、隣のホームに先ほど僕が乗ってきた釧網本線の列車が到着し、どっと乗客が吐き出されるが、誰も乗り換えてこない。
 それもそのはずで、帯広には16時18分発のスーパーおおぞら18号のほうが50分ほど早く着く。我が2528Dより1時間近くもあとに出るのに、である。北海道がいかに広いとはいえ、僕はなるべく鈍行で旅をしたいと思うが、当然ながら世間様はそうではないらしい。世間様は点と点の間を急いで行くのが常道である。僕のように、点は二の次で、じっくりと線を辿ることに意義を見出している人は少なかろうと思う。


 列車は定刻通りに発車。結局、釧路では誰も乗ってこなかった。
 しばらくは住宅地や工業地帯、コンテナ駅などを見ながら走る。退屈なので缶ビールを飲む。缶が空くころにはフキや雑草の生い茂る原野の中を国道と仲良く走るという北海道らしい風景に変わり、僕の関心もビールから車窓に移る。
 途中の庶路(しょろ)では対向の特急と行き違うために平気で5分ぐらい停まる。世間様にはいとわしいと思われる長時間停車は、僕にとって鈍行旅の実感が湧く瞬間である。「にししょろ」という昔ながらのホーロー看板を駅舎に4枚も貼り付けた西庶路を過ぎると、左手に太平洋が見えてきて、しばらくつかず離れずのところを走る。風が強いためか、白波が立っているのが見える。


 白糠では1983年に廃止になった白糠線の分岐跡を探す。足元の線路から、草むらがそれらしき跡を描きながら北へ向かうのが見えたが、これだと確信を持つ前に通過してしまった。30年という月日は線路を自然に還すには十分すぎる長さである。しかも、さっと通過してくれるので、遠軽や標茶のように悔しい思いにさいなまれることがないのはありがたい。もし分岐跡をずっと見させられたら、僕はまた心の中で地団駄を踏んだことだろう。
 白糠から古瀬という山の中の小駅を過ぎると、「音別(おんべつ)」「尺別(しゃくべつ)」「直別(ちょくべつ)」という三兄弟のような駅が待っている。僕はこの根室本線の「三別」の並びと、函館本線の「美唄(びばい)」「茶志内(ちゃしない)」「光珠内(こうしゅない)」が、北海道の駅名の並びではお気に入りである。どちらも韻を踏んでいて、口に出すと軽快な感じがして快い。


 直別の次は厚内。ここには先ほどの西庶路と同じように、「あつない」と書かれたホーロー看板が4枚も貼ってあって、それだけでも目立つのに、駅舎の壁にもこれ見よがしに「ATSUNAI STATION」と書かれている。この辺りの駅は目立ちたがりなのであろうか。駅の目立ちたがりをよそに、誰も乗り降りしない。これは厚内だけではない。釧路からここまでずっとである。


 厚内で太平洋と別れ、車窓は山越えの様相になってエンジンが唸る。上厚内を過ぎ、峠の頂上にある無人の信号所をゆっくり通過して、今度は下りながら山裾を回り込んでいく。
 並行する国道を、牧草ロールを荷台からこぼれんばかりに満載したトラックが行くのが見える。内地に住んでいると、牧草ロールを運ぶところを見る機会はまずないので、じっくり観察する。
 トラックは普通の平ボディと言われるものだが、ロールは下段は寝かせて2列に、上段は円筒状に立てて、数えると何と18ロールも載っている。それが棚や納戸にしまったトイレットペーパーのように縦横巧みに積まれているが、形状が形状だけに、何かのはずみに荷台から転げ落ちないか心配になる。一番前のロールは、運転席に覆いかぶさるように積んであるし、後ろの2巻きは荷台から半分はみ出している。そのバランスに妙に感心するが、運転手は急ブレーキなどかけられたものではないだろう。



 トラックと一緒に山を下っていくが、やがて国道が離れていき、その姿が見えなくなる。
 下りきると、辺りが一面の麦畑になり、浦幌に着く。
 ここで例のスーパーおおぞら18号に抜かれる予定で、12分も停まる。長時間停車に「これが鈍行だ」と思わず心の中でニンマリする。後ろから轟音が迫り、目が回るようなスピ―ドで7両編成がこちらを追い抜いていく瞬間がたまらない。変態かと我ながら思う。


 次の新吉野でも対向の特急及び鈍行と行き違うため、15分停まる。ここまで来ると僕にとってはご褒美である。対向の鈍行も1両だが、昔懐かしいタラコ色の車両であった。今度はあれに乗ってみたいと思う。色が違うだけで、中身は今乗っているのと一緒であるが。

 駅舎の傍らに、3歳ぐらいの男の子を連れた若い男性がいる。親子でどうやら列車を見に来たらしい。
 対向の特急がやってくるのが見えると、男の子はしきりに手を振り、それに気がついた運転士が「ピッ」と汽笛でそれに応える。嬉しそうな男の子、「よかったなー」と声をかけるお父さん。
 いい情景だな、と思う。
 風景は、人の心が通った瞬間に情景になるとも思う。
 タラコを残してこちらが出発の段になると、男の子はまた手を振りはじめた。客は僕ともう1名しかいないし、男の子から見える側には僕しか座っていないので、僕は窓越しに手を振り返し、お父さんと会釈する。
 一期一会かもしれないが、こういう交感はいいものである。


 豊頃で、ようやく女子高生らしい女の子が1人乗ってきて、乗客が僕を含めて3名になる。始発から終点まで、ずっと2名のままなのかと気をもんでいたので少し安心した。
 十弗(とおふつ)といういかにも北海道 らしい名前の駅を出ると、もう時刻は18時。麦畑の先に太陽が沈もうとしているのが見える。
 思わぬ旅先での交感の余韻か、僕はひとりでその夕焼け迫る車窓をぼんやり眺めているうちに、無我無心、いわゆる忘我の境地に入っていた。
 何も考えない。
 何も思わない。
 何も感じない。
 ただ自分と車窓とが渾然一体となって全てが観える。
 きれいだなとも思わない。風の匂いや列車の音も気にならない。
 ただそこに景色があって、それを無心に観ている僕がいた。

 僕は、去年、鶴見線大川駅での国内全線完乗を控えた高崎線の車中で、「一切の雑念を捨てて列車に乗っている瞬間」というものがあるということを初めて知った。周囲のことが何も気にならなくなり、車窓の何もかもがゆっくり見える不思議な感覚であった。そして何よりも、心の底から充実感と安心感が湧き出たことを今でも覚えている。

 あの時と同じ感覚が、今この瞬間、根室本線に乗っている僕を支配している。

 高崎線以来、どうすればこの忘我の境地に入れるのか、ずっとわからないまま過ごしてきたので、この瞬間に不意に忘我の境地に入れたのには、自分でも驚いたし、正直うれしかった。
 この感覚がずっと続けばいいのにと思うが、そう思うということは、すでに忘我の境地が終わり、雑念が芽生えている証拠である。
 いつの間にか忘我の感覚は消えてしまったし、相変わらず忘我への入り方もわからず仕舞いであった。また忘我に入るためには、いろいろな列車に乗り、いろいろな風景を見るほかないと思いなおす。


 池田で15人ぐらい女子高生が乗ってくる。利別でも7人乗ったが、幕別で池田からの子たちを含め、みんな降りてしまう。代わりに若い女の子が9人乗ってくる。車内のにぎやかさが、帯広が近づいていることを僕に知らせる。札内でも4人乗って3人降りる。何でこんなことを憶えているかというと、釧路から豊頃まで1時間半近く、たった2人しか客がいない列車が、地元の人にちゃんと使ってもらえていることが確認できたのがうれしくて、ついメモをしてしまったからである。乗っている列車が愛おしくなることは、僕にとっては特段珍しいことではない。


 長く乗る列車、とりわけ長距離鈍行は、乗っているうちにその列車に情愛が湧いてきて、降りるときは惜別の感すら抱くことがある。この2528D列車はまさにそれで、3時間ほど揺られた果てにたどり着いた帯広駅では、後ろ髪を引かれる思いでホームに降り立った。時刻表を見ると、2528Dはこの帯広でも20分ほど停まって対向列車をやり過ごしてから、終着の芽室に向かうことになっている。芽室まではあと13kmぐらいだというのに、ご苦労なことだと思う。


 ところで、僕の今宵の宿は札幌である。帯広から札幌までは距離にして220km程あり、さすがに特急を使わざるを得ない。
 帯広19時26分発のスーパーとかち10号で札幌着は22時15分。3時間ほど乗ったが、僕は乗る前にそのヘッドマークを眺めることもしなければ、無心になることも、乗客の乗降数のメモを取ることもなかった。

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