2016年7月29日金曜日

2014年 冒険の書 その7(みちのく) #1

2014/8/11~8/12
 東北最後の未乗路線たちとの邂逅へ。

【1日目】8/11(月)

 前々から、この盆休みで東北に残された4つの未乗路線、すなわち大船渡線、八戸線、そして三陸鉄道南リアス・北リアス両線のすべてに乗る計画を立てていたが、せっかく、あるいはおせっかいというのかもしれないが、とにかく、別件で前日からながとろハウスに泊まっていたA氏を巻き込むことにした。

 A氏はてつおたではないので、僕の旅に付いてきても退屈するかもしれない。ただ、いつもひとり旅の僕としては、たまには誰かと旅をするのも悪くない。

 0700時に起床。

 大宮からやまびこ43号に乗る。
 普通車が満席なのでグリーン車というぜいたくをしながら一ノ関へ。
 はじめてのE6系は大変快適だった。惜しい点は、グリーン車の座席に足置きがないことぐらいだろうか。


 一ノ関の駅では、列車待ちの間に写真などを撮って過ごす。


 一ノ関の駅をぶらぶらしていた僕は、ホームに何気なく置かれた、このベンチに心ひかれた。
 こんな重厚な木製のベンチ、最近はなかなかお目にかかれない。見るからに年季が入っている。
いったいいつからここにあって、はたして何人の旅人を見送り、そして出迎えてきたのか…。そんなことを考えるだけで、旅情あふれるものがある。





 時間が来たので、大船渡線に乗り込む。
 車内は座れない人もいるぐらいの盛況ぶりだ。


 大船渡線は、途中の気仙沼までは遥か昔に乗車済みであるが、その先が未乗なのだった。

 【地図を見ると一目瞭然だが、この大船渡線という路線、妙に蛇行して走っている。
 字で表すとΠともЛともΩともつかない、おさまりの悪い形である。
 これは昔、この線路を敷くときに、我が町に鉄道をということで、各集落が政治家を巻き込んで綱引きのようなことをした結果、このようなくねくねとした路線になったという。
 このくねくねを龍に見立てて、ドラゴンレールという愛称がつけられていて、車体にも龍のキャラクタが描かれている。


 地図上での大蛇行とは裏腹に、車窓はこれといって見どころもなく、列車は淡々と走ってゆく。駅弁を食っていると、いつの間にか進む方角が変わっているし、大きな目印のない山の中をぐねぐねと走られると、方向感覚がおかしくなる。
 自分が東に向かっているのか、北なのか、はたまた南なのか。三半規管を狂わされながら、列車は終点の気仙沼へ到着。

 ここで乗り換えであるが、乗り換え先はバス。
 この先は、例の大地震の津波で線路が街ごと流されてしまったので、BRT(バス高速輸送システム)というものを導入して仮復旧している。もっとも、このままバスで定着してしまうかもしれないが、ともかく現状は仮復旧ということになっている。


 正直、ここに来るまで、僕はずっと悩んでいた。
 代行バスというものを、僕が言うところの「実績」に含めてもよいものかと。
 何年かかってもいいので、鉄道の復旧を待ってもよいのではないかと…。

 結論から言うと、次の3点から、僕はこれを実績とみなすことにした。人によっては邪道というかもしれないが、僕が決めたのだからこれでよい。

 ・JRおよび市町村が「鉄道代行バス」であることを明言していること。
 ・JR発行の乗車券の効力で乗車でき、鉄道からも運賃が通算されること。
 ・一部とはいえ、線路の用地を転用してバス専用道にしていること。

 それに加えて、あの地震の被災地を自分の目で見ておきたい、という思いもあった。

 とはいえ、実際に気仙沼の駅の1番線がアスファルトで埋め立てられて、そこに代行バスがやってくるのを見たときは暗澹たる思いに包まれた。
 あったはずの線路がない、このやりきれなさ。これが現実なのだと。

 てっきり僕らが乗るバスもこのホームから出るのかと思ったら、それはここではなく駅前から出発するとのこと。
 バスは気仙沼の駅前を出発すると、しばらくは普通の路線バスのように気仙沼の街を走ってゆく。いや、正確には、街だった、といったほうがいいのかもしれない。いたるところに空き地があったり、壊れたまま放置されている建物がある。
 3年前のあの日、テレビに映った「燃える海」の映像は、この街から送られていた。火がついたがれきが波にさらわれて、海の上で燃えていたあの映像は、大変衝撃的だった。あの黒い海と赤い炎の中に、いったいいくつの人生が呑み込まれていったのか…。
 陸前高田の街に入ると、海岸沿いで巨大な土盛りをしているのが目に入った。囲いの中を、重ダンプがひっきりなしに行き来している。要塞のようなそれは、防潮堤の土台になるらしい。



 街はまだ更地が多く、そこに街があったのが信じがたい光景だ。
 学校の校庭には無数の仮設住宅が見えた。地震から3年経っても、自分の家に戻れない人々がいる…。その事実を突きつけられる光景である。
 あの巨大な防潮堤が出来上がる頃には、街も復興しているのだろうか。
 陸前高田の役所や病院などを回りながら、バスはやがて線路敷だった区間に入る。ここからがいわゆる「BRT」の本領発揮である。沿道のバス停も駅として扱われている。


 ここは線路をはがしてアスファルトにしただけなので、バス1台分の幅ぐらいしかない。すれ違いは鉄道の列車交換のように、途中の待避スポットで行う。


 すれ違う時は片方を待たせて、もう片方がその横を駆け抜けてゆく。トンネルも鉄道のものをそのまま流用しているので、普通の道路のそれとは少し雰囲気が違う。
 やっていること、見えている風景は鉄道のそれなのに、乗っているのはバス。なんとも不思議な感じを受けながら、終点の盛(さかり)へ。





 三陸鉄道南リアス線。
 この路線も、乗りたい乗りたいと思いつつ、なかなか訪問を果たせなかった路線だった。
 車窓は時折海が見えるものの、トンネルが多く、なかなか眺望が開けない。
 海が見えたとかトンネルだとかやっているうちに、列車はいつの間にか釜石に到着してしまった。

 釜石からは釜石線と東北線で3時間かけて盛岡へ出て、そこから東北新幹線で今宵の宿がある八戸へワープ。



 八戸では、お酒が苦手なA氏をホテルに残して、ひとりで呑みに繰り出す。
 宿近くの【こちらに入店。
 いろいろ頼んだが、何よりもサバ刺しとバクライ(ホヤとナマコの腸)でイチコロだった。




 楽しい東北旅行1日目、おわり。

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