2016年7月29日金曜日

2014年 冒険の書 その7(みちのく) #2

【2日目】8/12(火)
 駅前のホテルに泊まっていたので、かすかに聞こえる気動車のエンジンの音で目を覚ました。

 時計を見ると、時間は5時15分。
 窓から駅を覗くと、5時35分発の八戸線始発列車423Dが、僕を誘うようにエンジンをゴロゴロ鳴らして停まっている。今日はいよいよあの路線に乗れるんだと思うと心は踊るが、身体はまだ眠い。二度寝を決める。


 安らかに二度寝をして、7時20分に再度起床。
 食事などを済ませ、9時に宿を辞す。八戸の街をぶらぶらしたあと、駅へ。

八戸駅

八戸臨海鉄道本社 大変趣のある建物

 今日乗る八戸線は、八戸から久慈までの64.9kmを結ぶ非電化ローカル線である。
 【ごらんの通り】、経路の半分は海沿いを走るのだが、車窓は街、海、山が代わる代わる出てきて変化に富んだ路線でもある。これを2時間近くかけて辿る。
 個人的に、この八戸線は、かつての非電化路線の姿を色濃く残す、本州では最後の路線なのではないかと思っている。
 その理由は、全列車に古い車両が使われていること、それらには冷房がないこと、そして車掌が乗務していること。


 かつて非電化路線といえば、冷房がない車両が多かった。
 電車と違い、ディーゼルエンジンで走る気動車は、冷房を動かすだけの電気を作ることができず、またそのエンジンで冷房を回そうにも、パワー不足でそれもできなかった。
 最近の車両はエンジンの馬力も大きく、その力で冷房機を回せるようになったが、八戸線を走っている古い車両たちはそれができないので、この時代になっても冷房がないまま残っている。

 車掌乗務についても、今の地方路線はほとんどがワンマン運転になっており、車掌の放送や車内でのきっぷの発売などの光景も見られなくなりつつあるが、八戸線にはそれが残っている。


 それらの光景は、僕が旅屑になった遠い昔には当たり前だったが、最近とんと見かけなくなってしまったので、八戸線でそれを久しぶりに味わおうという魂胆だ。

 八戸10時7分発の833Dは、2両編成で僕らを迎えてくれた。
 席を確保してホームで列車を眺めていると、駅に到着する列車からどんどん客が乗り換えてきて、あっという間に座席が埋まった。考えてみると、八戸に10時ならば、東京7時発の新幹線でも余裕で間に合う。土日を使って八戸線に乗るには好適な時間の列車である。


 車内はクーラーもなく、ひたすらに暑い。いたるところの窓が開けられていて、アイドリングするエンジンの音がけたたましく車内に飛び込んでくる。頭上では扇風機がぐるぐる回っている。


 ああ、これが非電化ローカル線だ…。
 20年ぐらい前まで、日本のどこでも当たり前だった光景が、今、本州にはここにしかないということの事実。ありがたい。


 発車すると、列車は八戸の街を抜けてゆく。
 途中の本八戸は高架駅で、実は八戸の中心地はこちらのほうが近い。飲み屋もこちらのほうが多いとの話。鮫という駅で対向列車とすれ違うと、坂をよろよろと登って、いよいよ海の見える区間へ。


 左手は松林越しにちらちらと海、右はずっと山や畑で、僕らを含む車内の目はおのずと左に向く。
 海の上にちょこんと頭を出した、真っ白い岩が目についたが、それはウミネコがunkをしまくって、岩を白く染めてしまったという。さしずめウミネコのトイレといったところか。
 そんな景色が陸中八木まで続く。




 海は陸中八木までで、そこから終点の久慈までは一転して峠越えとなる。
 内陸に進路を取った古い気動車は息も絶え絶えに、急な坂をゆっくりと登ってゆく。


 開け放たれた窓から、気動車のラジエータファンの排気に踊り狂う夏草の群れを見ていたら、僕がまだガキで、親父といろいろなところを旅した頃をふと思い出した。もう25年も前のことだ。
 そういえばあの頃も、こんな風に窓から列車の外を見て愉悦に浸っていた。どうやらあの頃から僕は何にも変わっちゃいないらしい。
 そんな感傷紀行も、列車が峠を越えればもうすぐ終わり。転がるように滑り込んだ終点の久慈で、三陸鉄道北リアス線へ乗り換えとなる。


 久慈で乗り換えた三陸鉄道北リアス線は、3両もつながっているにもかかわらず、座席がほぼ埋まっていた。
 どうやら昨年NHKで放送されたドラマの舞台になっており、その余韻で大フィーバーのようだ。車内はどう見ても鉄道に興味のなさそうなご婦人方やご夫婦、カップルが多数で、なんだか肩身の狭い思いがする。

 僕らが乗る列車の車体に、アラビア文字が。
 あいにく僕はアラビア文字を読めないが、親切なことに英語と日本語で意味が書いてあった。ほにゃららほにゃららあっぺけおっぺけうんぬんかんぬん(訳:クウェート国からのご支援に感謝します。)

 三陸鉄道では、例の津波で水浸しになってしまい使い物にならなくなった車両があるので、その代わりとしてクウェートの方々の支援で造った新車なのだった。
 中東の石油王たちのお金で造られた車両と思うと、なんだか不思議な感じがする。
せっかくなので、ここはひとつ、僕にも油田を頂けないだろうか。


 車内を何度見回しても席がないので、仕方なく、連結部の運転席の反対側にスペースを見つけて1時間40分あまりの立ちんぼの旅だ。
 幸いにして、乗務員室のドアの窓を独占できるので、外を見る分には不足ないが、いかんせん落ち着きに欠けるポジションだ。

 途中、車内アナウンスで「ここがあのドラマで舞台になった…」などと始まると、車内はどよめいたり歓声が上がったり。ドラマなど興味のない僕にはまったく何のことだかわからないが、言われてみれば、そういうアナウンスが入る場所は確かに絵になる。
 海を見渡す場所、高くて長い鉄橋、港町の小さな駅…。



 この北リアス線は建設年代が新しく、どちらかというと車窓はトンネルが多いが、数少ない車窓スポットに出るたびに、車内アナウンスはひとつひとつ丁寧に解説してゆくのには好感が持てる。

 車両やキャラクターに頼っただけの、見かけだけのイベントではなく、「景色」という、鉄道の一番根っこにあるものを売り物にしている鉄道に出会うと、心なしかうれしくなる。最近ようやくそれが理解されてきて、鉄道に興味のない人々も鉄道に引きつけられるようになってきたようにも思う。
 鉄道に興味があろうがなかろうが、見知らぬ土地の風物を愛でるという行為は、誰もが好きなことだろう。それをするための手段として鉄道が選ばれるのであれば、ひとりのてつおたとして、この上なくうれしいものだ。

 列車は宮古に到着した。あとはここから山田線という列車に乗り換えて、盛岡から新幹線で帰るだけだが、時間があるのと昼食をとっていなかったので、宮古の街を散歩する。


 駅から歩いて10分ぐらいのところに市場があるので、そこへ行って食事をした。
 それから、僕がまだ若かったころにお世話になった旅館を見に行ったり、歓楽街を見学したりしながら時間をつぶして駅へ。
 地震で壊れたかもしれないと思っていた旅館が健在だったのには、内心ほっとした。




 宮古から盛岡まで鈍行で2時間。
 そこから新幹線で大宮へと戻って今回の東北旅行、おわり。




【今回の実績解除記録】
大船渡線(105.7km)
三陸鉄道南リアス線(36.6km)
八戸線(64.9km)
三陸鉄道北リアス線(71.0km)

 いよいよJRの未乗線区は残り1.0km、私鉄も6.2km。
 日本の中で、僕がまだ乗ったことのない路線がたった7.2kmしかないと思うと、いよいよ終わりが見えてきた感じがする。
 ただ、このたった7.2kmの路線たちがクセモノで、ゆえに今までずっと残っているのだった。



 てつおたの全線完乗への旅路はまだまだ続く。

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