2014/8/16
疑わしきは乗るべし。
先だってのA氏との東北旅で、JRの未乗区間は残り1.0kmまで持ち込んだが、私鉄はあと6.2kmも残っている。
このうち、JRの1.0kmは、【人と約束をしている】ので、その日まで取っておかなければならない。
私鉄の6.2kmも、そのうちの5.9kmについては2日で片付ける目途がついた。5.9kmに2日もかかる事情は【別稿に譲るとして、残る私鉄0.3kmをやっつけようというのが、今日の魂胆である。
幸いにして、この0.3kmの路線は、関東から近い、というよりもほぼ関東といっても差し支えがない熱海市内に存在している。
その路線名は、伊豆箱根鉄道十国鋼索線。
世間的には「箱根十国峠ケーブルカー」と呼ばれているようだが、僕は「鋼索線」のいかめしい響きのほうが、いかにも「お前のような趣味だけで鉄道に乗る奴を乗せてやるものか」と主張しているようで、かえって好ましいように思う。
大宮のながとろはうすを11時に出発し、東京駅へ。
東京駅でこだま527号に乗って、熱海に向かう。在来線だと普通電車で2時間ほどかかる熱海だが、新幹線なら50分で到着してしまう。
0.3kmのケーブルカーに乗るために、新幹線を含めて片道120kmほどの移動を強いられるわけでるが、もうここまで来ると悟りの境地のようなもので、この程度の距離は気にもならない。
熱海駅前で、ライオンズカラーをまとった伊豆箱根鉄道の元箱根行きバスに乗り込む。
実は、今回のこの小旅行の肝は、この伊豆箱根バスの時刻にあった。なにせ最終のバスの熱海発が14時18分なのである。熱海から箱根へのルートは自動車が主で、バスで行く人などあまりいないのだろう。新幹線を使ったのも、このバスに間に合わせたいがためであった。
バスは数人の客を乗せて熱海の街を走り出す。海も見えるが、今回目指すのは山である。
熱海を貫く国道135号が事故で渋滞している。ケーブルカーに間に合わなくなっては、今日ここに来た意味がない。また、帰りのバスのことを考えると、ケーブルカーを1本遅らせて…というわけにもいかないので、気が気でなかった。幸いにもバスは渋滞を短時間で脱して、元箱根への急坂を登り始める。
乗り物酔いをする人なら間違いなく気分を害するようなヘアピンカーブをいくつも越えて、バスは40分ほどで十国峠登り口というバス停に到着。バスから降りたのは僕だけだった。
盆休みの連休最終日、それも暑い午後に、ケーブルカーに乗る人などいないのだと思っていたら、ケーブルカーの駅の駐車場にはたくさんのクルマが停まっている。やはり普通であればここはクルマで、伊豆・箱根周遊の一環として来るのだろう。
駅は山小屋風の建物になっている。中には売店やレストランなど、観光地の拠点として一通りのものが揃っていて、ケーブルカー乗り場はこの2階にある。きっぷを買って、乗車の順番を待つ。
乗ってしまえば、どこにでもある普通のケーブルカーである。
車両は昭和31年製。当時流行った2枚窓のデザインが、この子が生まれた時代を物語る。
同世代の電車や機関車たちはとっくに引退しているが、電車と違ってモーターや制御系などの複雑な機械がなく、鋼線につながって行ったり来たりしているだけのケーブルカーは、しっかりと手入れさえすればいくらでも使えるのだろう。むしろこの片道0.3kmの道を、60年近く飽きもせず行ったり来たりしているほうが驚嘆に値する。
終点の十国峠駅を降りると、その名のとおり四方を遮るものがなく、風も爽快そのものだ。十国の名は、駿河、伊豆、遠江、甲斐、信濃、相模、武蔵、上総、下総、安房と、十の国が一望できたことに由来する。
眺めを満喫して、再びケーブルカーで下る。
バスまで時間があるので、カレーを「飲んで」十国鋼索線完乗の祝杯とする。
帰りは熱海から東海道線のグリーン車で東京へ向かい、上野で正真正銘の「祝杯」を軽く上げてから帰途についた。
それはさておき、唐突だが、実はこの十国鋼索線、僕は乗っているかもしれないという疑念があった。ただ、それは僕がまだガキの頃に、ながとろの親戚一同が集まった旅行で熱海を訪れた折に乗ったような乗ってないような、とにかく記憶があいまいなのであった。
当時の僕は、乗車記録に無頓着だった。まさか25年後に、自分が日本中の鉄道に乗ろうとしているだなんて、夢想だにもしていなかった。また、子どもの記憶力というものは頼りなく、この十国鋼索線に関しては、確実に乗ったという確信が持てず、非常に疑わしいものがあった。
僕の中で、というよりも完乗を志す人ならば、そんな乗ったか乗っていないのかがわからない路線を放置したまま「日本全国の全線を完乗しました」などとは、たとえ天地がひっくり返っても言えないだろう。
完乗とは、誰に監視されるでもなく、ただ自分が自分に課した務めなので、うそをつくことは容易である。乗っていないのに「乗った」ということは簡単だ。ただ、そのうそによって、今まで乗ってきたすべての路線が無に帰すると考えると、そんなうそをついてまでこの趣味を続けようとは思わない。
どんなに短い路線であろうと、辺境にあろうと、本数が少なかろうと、「鉄道事業法」もしくは「軌道法」という法律で「鉄道」あるいは「軌道」と定められた路線には、すべて乗らねばならない。
疑わしきは乗る。
これは、完乗において不文律のひとつだと、僕は思う。
そして、その疑わしい路線が、実はもう1路線残っているのだが、それはまたの機会に。
【今回の実績解除記録】
伊豆箱根鉄道十国鋼索線(0.3km)
疑わしきは乗るべし。
先だってのA氏との東北旅で、JRの未乗区間は残り1.0kmまで持ち込んだが、私鉄はあと6.2kmも残っている。
このうち、JRの1.0kmは、【人と約束をしている】ので、その日まで取っておかなければならない。
私鉄の6.2kmも、そのうちの5.9kmについては2日で片付ける目途がついた。5.9kmに2日もかかる事情は【別稿に譲るとして、残る私鉄0.3kmをやっつけようというのが、今日の魂胆である。
幸いにして、この0.3kmの路線は、関東から近い、というよりもほぼ関東といっても差し支えがない熱海市内に存在している。
その路線名は、伊豆箱根鉄道十国鋼索線。
世間的には「箱根十国峠ケーブルカー」と呼ばれているようだが、僕は「鋼索線」のいかめしい響きのほうが、いかにも「お前のような趣味だけで鉄道に乗る奴を乗せてやるものか」と主張しているようで、かえって好ましいように思う。
大宮のながとろはうすを11時に出発し、東京駅へ。
東京駅でこだま527号に乗って、熱海に向かう。在来線だと普通電車で2時間ほどかかる熱海だが、新幹線なら50分で到着してしまう。
0.3kmのケーブルカーに乗るために、新幹線を含めて片道120kmほどの移動を強いられるわけでるが、もうここまで来ると悟りの境地のようなもので、この程度の距離は気にもならない。
熱海駅前で、ライオンズカラーをまとった伊豆箱根鉄道の元箱根行きバスに乗り込む。
実は、今回のこの小旅行の肝は、この伊豆箱根バスの時刻にあった。なにせ最終のバスの熱海発が14時18分なのである。熱海から箱根へのルートは自動車が主で、バスで行く人などあまりいないのだろう。新幹線を使ったのも、このバスに間に合わせたいがためであった。
車内は閑散 |
バスは数人の客を乗せて熱海の街を走り出す。海も見えるが、今回目指すのは山である。
熱海を貫く国道135号が事故で渋滞している。ケーブルカーに間に合わなくなっては、今日ここに来た意味がない。また、帰りのバスのことを考えると、ケーブルカーを1本遅らせて…というわけにもいかないので、気が気でなかった。幸いにもバスは渋滞を短時間で脱して、元箱根への急坂を登り始める。
海が見える 遠くには秘宝館 |
海を撮ろうとしたら木マンが現れてしまった |
乗り物酔いをする人なら間違いなく気分を害するようなヘアピンカーブをいくつも越えて、バスは40分ほどで十国峠登り口というバス停に到着。バスから降りたのは僕だけだった。
盆休みの連休最終日、それも暑い午後に、ケーブルカーに乗る人などいないのだと思っていたら、ケーブルカーの駅の駐車場にはたくさんのクルマが停まっている。やはり普通であればここはクルマで、伊豆・箱根周遊の一環として来るのだろう。
駅へ着くなりランエボさんが楽しそうに坂を下ってゆく |
来たぜ静岡 |
駅は山小屋風の建物になっている。中には売店やレストランなど、観光地の拠点として一通りのものが揃っていて、ケーブルカー乗り場はこの2階にある。きっぷを買って、乗車の順番を待つ。
駅入り口 |
乗ってしまえば、どこにでもある普通のケーブルカーである。
車両は昭和31年製。当時流行った2枚窓のデザインが、この子が生まれた時代を物語る。
同世代の電車や機関車たちはとっくに引退しているが、電車と違ってモーターや制御系などの複雑な機械がなく、鋼線につながって行ったり来たりしているだけのケーブルカーは、しっかりと手入れさえすればいくらでも使えるのだろう。むしろこの片道0.3kmの道を、60年近く飽きもせず行ったり来たりしているほうが驚嘆に値する。
この車両は日金というらしい |
昭和31年 H社製 |
大きな2枚窓が生まれた時代を物語る |
簡単に言うと、今日はこの坂を登りにきた |
終点の十国峠駅を降りると、その名のとおり四方を遮るものがなく、風も爽快そのものだ。十国の名は、駿河、伊豆、遠江、甲斐、信濃、相模、武蔵、上総、下総、安房と、十の国が一望できたことに由来する。
こちらは相模 下総・上総・安房は見えない |
こちらは伊豆と駿河 |
眺めを満喫して、再びケーブルカーで下る。
ケーブルカーは、登るより降りるほうが眺めがよい |
バスまで時間があるので、カレーを「飲んで」十国鋼索線完乗の祝杯とする。
祝杯 |
まだ8月なのに、山の空は早くも秋の気配 |
帰りは熱海から東海道線のグリーン車で東京へ向かい、上野で正真正銘の「祝杯」を軽く上げてから帰途についた。
それはさておき、唐突だが、実はこの十国鋼索線、僕は乗っているかもしれないという疑念があった。ただ、それは僕がまだガキの頃に、ながとろの親戚一同が集まった旅行で熱海を訪れた折に乗ったような乗ってないような、とにかく記憶があいまいなのであった。
当時の僕は、乗車記録に無頓着だった。まさか25年後に、自分が日本中の鉄道に乗ろうとしているだなんて、夢想だにもしていなかった。また、子どもの記憶力というものは頼りなく、この十国鋼索線に関しては、確実に乗ったという確信が持てず、非常に疑わしいものがあった。
僕の中で、というよりも完乗を志す人ならば、そんな乗ったか乗っていないのかがわからない路線を放置したまま「日本全国の全線を完乗しました」などとは、たとえ天地がひっくり返っても言えないだろう。
完乗とは、誰に監視されるでもなく、ただ自分が自分に課した務めなので、うそをつくことは容易である。乗っていないのに「乗った」ということは簡単だ。ただ、そのうそによって、今まで乗ってきたすべての路線が無に帰すると考えると、そんなうそをついてまでこの趣味を続けようとは思わない。
どんなに短い路線であろうと、辺境にあろうと、本数が少なかろうと、「鉄道事業法」もしくは「軌道法」という法律で「鉄道」あるいは「軌道」と定められた路線には、すべて乗らねばならない。
疑わしきは乗る。
これは、完乗において不文律のひとつだと、僕は思う。
そして、その疑わしい路線が、実はもう1路線残っているのだが、それはまたの機会に。
【今回の実績解除記録】
伊豆箱根鉄道十国鋼索線(0.3km)
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