2017年4月4日火曜日

2015年5月 青海川

 僕にとって時刻表とは、いろいろな使い方ができる楽しい本である。

 時刻表は、列車の運行時刻を調べる実用書であると同時に、忙しくて旅ができない時には机上で鉄道旅行の計画を練って楽しむという暇つぶしの相手にもなるが、僕にとって時刻表の一番の真価は、酒のつまみにもなるということである。

 無論、一献の合間に時刻表をちぎって口に入れるわけではない。ページをちぎるかわりに、酒を呑みながら時刻表を眺めるのである。古い時刻表を引っ張り出してきて、今はなき列車や路線に思いをはせたり、新旧の時刻表を見比べてどこが変わったとか何が違うとかを探しながら酒を呑むと、不思議と杯を重ねることになる。そして最後には、どこかへ旅をしたくなって仕方がなくなるのがお決まりの流れである。

 2015年4月30日、この日もそうだった。
 夜、時刻表を読みながら酩酊して、どこかに行きたいと思いつつ床に就いた。
 そして明くる5月1日、この日はメーデーで仕事が休みだった。今思えば、メーデーは休みにするのに、本質はブラック企業だった前職場は不思議なところであるが、ともかくも休みであった。

 朝起きて、すでにどこかに行きたくて仕方がない。
 5月2日に仕事の予定が入っているので、日帰りできるところを物色する。少し検討して、上越線と信越本線を下り、直江津からほくほく線に乗って戻ってくる旅程で行くことにした。これならば、連休で混んでいる新幹線を避けて鈍行でのんびり旅ができるし、何より途中で美しい夕焼けが見られるかもしれない。

 僕は、信越本線の青海川という駅で30分ほどの途中下車の時間を用意した。この青海川駅は、ホームの目の前が日本海という立地で、そこから眺める夕焼けの美しさはつとに有名である。

 拙宅から宮原駅に向かい、下り高崎行き鈍行の客となる。高崎で乗り換えた水上行きは、昔ながらのかぼちゃ色の電車であった。車内はそこそこ乗っている。僕が一番乗りで座って、峠の釜めしを食べながら占領していたボックスシートにもカップルが乗ってきた。他人と相席で駅弁を食うのはどうにも落ち着かない。



 弁当を食い終わる頃には発車時間となった。車窓に目を転じる。上越線に乗る楽しみの一つに、山を愛でることがある。高崎を出ると、列車の左にはごつごつと屹立した山容を擁する榛名山、右前には雄大な裾野を持つ赤城山がそびえているが、渋川あたりでそれらに代わって前途に高い山々が見えてくる。武尊山、朝日岳、そして谷川岳である。この山々の向こう側は新潟だ。

 群馬から新潟へ直通する鈍行はないので、途中の水上で乗り換えとなる。山行きの列車らしく、4両すべてがモータ付の車をつないだ長岡行きは、水上を勢いよく飛び出すと、長いトンネルへと入る。




 上越国境を越える鉄道トンネルは、3つある。
 ひとつは、清水トンネル。これは川端康成が「雪国」の冒頭で著した「国境の長いトンネル」のモデルとなったものであるが、今は新潟から東京へ向かう上り線専用のため、このトンネルを抜けて雪国に行くことは、残念ながらできない。このトンネルの途中にはループ線があり、新潟から山を下ってくると、途中でこれから進んでゆく線路を見下ろすことができる地点がある。
 もうひとつは今僕が進んでいる新清水トンネル。これは下り線専用となっている。このトンネルの途中に土合という駅があり、ホームから地上まで500段近い階段を登らなければならない。僕は500段も階段を登るのはごめんこうむりたいが、谷川岳などの山へ登る人には、この階段がちょうどいいウォーミングアップになるという。
 最後は、上越新幹線の大清水トンネル。これはだいしみずと読むが、トンネル自身よりもむしろ有名なのはこのトンネルからの湧水をブランド化した「名水大清水」であろう。水のほうはおおしみずと読む。かつては都内の駅でもミネラルウォーターとして自販機で売っていたが、いつの間にか見かけなくなってしまった。



 長いトンネルを抜けると、線路わきには雪が残っている。5月とはいえ、新潟の山奥はまだ冬の残り香を引いていた。だが、それも越後湯沢まで降りてくると完全に払拭され、空も気温も春めいてくる。雪はあっという間に消えた。
 今乗っている電車は長岡行きなので、そのまま乗っていてもいいのだが、僕は越後湯沢駅の構内にある酒の試飲コーナーへ寄り道したくなった。越後湯沢で途中下車をして、次の電車まで40分ほど時間を作る。呑む前に立ち食いそばで全部乗せのかけそばを食って酒に備える。


 試飲コーナーでは、500円でおちょこ5杯分の新潟の酒を呑み比べできて、アテとして味噌や塩が頂ける。酒は有料だが、味噌と塩はサービスである。僕は雪中梅、亀鶴、久保田、北雪、大洋盛を選んだ。
 雪中梅は甘口だが、ねっとりとした甘さではなくさわやかな感じで好感が持てる。亀鶴はそれと正反対で少し辛口。刺身を食いたくなる。久保田は最近どこでも呑めるような気がするが、新潟で呑むと格別にうまい。日本酒は当地で呑むのが一番だ。北雪は大変辛口で、僕好みの味だ。こんなうまい酒を呑んだら、あまりにも呑みやすいのですぐに適量を越えて酩酊するだろう。最後に少し辛口の大洋盛でびしっと〆てホームへ戻ると、長岡行きの電車が待っていた。




 暖かい天気に加えて酒を呑んだせいか、身体がほてって暑い。電車の窓を開けて涼むうちに発車時刻となる。電車は水ぬるむ魚沼地方を軽快に走る。水が入って代かきを待つ田んぼ、その向こう側には山頂にまだ雪を残しつつも青々とした巻機山や八海山が、春のうららかな天気に霞んでいる。日差しは降り注ぐというよりも照り付けるというほうが適切だと思われるぐらいに強い。北国が待ち望んだ春を謳歌する様子を見ると、旅に出てよかったと思う。小出では只見線のディーゼルカーを見かけて再訪を誓い、小千谷からは女子高生3人組が乗り合わせて車内がにぎやかになる。この女子高生たちは僕のいるボックス席に入るとき、軽く挨拶をしてから座った。こんなにも礼儀正しい女子高生、久しぶりに見た気がする。




 長岡から信越線の直江津行きに乗り換え、今日の目的地、青海川へ向かう。
 僕は青海川駅で最高の夕焼けを見るために、この界隈の日没時刻を調べておいた。日没時刻は18時34分。これとて目安でしかないので、どんな夕焼けが見られるかは現地に行くまでわからない。だが、太陽は徐々に傾きかけている。いい感じだ。時間はすでに17時過ぎ。柏崎を過ぎ、青海川のひとつ手前の鯨波という駅で、すでに僕は最高の夕焼けが見られるという確信を得た。海はまだ見えないが、夕日はもうすでに十分に美しい。

 17時42分、青海川着。ホームには、僕と同じ列車から降りた人の他に、別の列車や車でやってきたと思しき先客数人の人影がある。


 そして僕の眼前には、今まさに日本海に沈もうとする太陽があった。ホームに立つ駅名の看板は強烈な逆光ですでに黒い板切れと化している。波は夕焼けを受けてきらきらと光る。行き交う列車も強い日差しを浴びながら過ぎてゆくが、誰も列車には目もくれず、ただひたすらにむさぼるように夕日を眺めている。ただ、僕はコンテナ列車がぎらっと光るのがあまりにもきれいなので、思わず写真を撮ってしまった。



 夕焼けには、日頃のいやなことやめんどくさい悩みも忘れさせてくれる効能があるように思う。僕がときたま無性に夕焼けが見たくなるのは、いとわしい日常から少し離れたいという、心の本能なのかもしれない。僕は、ただただ夕焼けの美しさに息を呑みながら、何もせず、涅槃忘我の境地で20分ぐらい海を見ていた。



 のんべえな僕は、新潟と聞くと、どうしても酒を呑むことばかりを考えてしまうが、たまには息を呑みにくるのも悪くないと、迎えに来た電車の車窓から、今まさに沈む夕焼けを見ながら思った。

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