前に勤めていた会社の人から、「久しぶりに一杯どうですか」とお誘いが来た。
その人が川崎在住なので、「お互いが東京まで出るのだったら、僕がそのまま川崎まで行きますよ」という話になった。
せっかく川崎に行くのであるなら、京急大師線に乗ろう。
そう決めて、僕はそのまま乗っていても川崎まで行く上野東京ラインの電車を品川で捨て、赤い快特電車に乗り換えた。
2016年7月17日、日曜日。
3連休中日の日曜午後3時過ぎ、京急川崎の地上ホームで待つ4両編成に乗り込む。
僕が乗ったときにはすでに立ち客が出ていた。乗車率でいえば40%ぐらいだろうか。空いている席を見つけて座るが、暑い。よく見ると、弱冷房車であった。
車内の顔ぶれは老若男女さまざまで、まさに街の下駄である。赤ん坊の乳母車と、老人の手押し車が同居している電車もなかなかない。人は老いると子供に戻るというが、この似て非なる2つの「車」は、それをまさに象徴しているような気がする。
定刻15:16に発車。するどい加速が自慢の京急らしからぬゆっくりとしたスタートであるが、それはこの先に急カーブがあるからである。
この急カーブの途中の擁壁に、茶色く古びたレンガ積みの部分がある。このレンガたちは、はたしていつからここにこうして積まれているのだろうかと、少し思いを巡らせるのも楽しい。
急カーブをゆっくりと進むと港町。多少の乗り降りがある。
鈴木町、川崎大師と直線を軽やかに進む。
鈴木町は駅前にショッピングセンターがあり、買い物帰りの人が乗ってくる。
川崎大師で車内の半分が降りる。右に軽くカーブしながら対向電車とすれ違う。
東門前で残りの半分が降りる。上屋は木造のままだ。
東門前。なんと風情のある駅名だろうか。
時間があれば降りて歩いてみたかったが、あいにく今日は約束があるので、寄り道はできない。終点まで往復するのがせいぜいだ。
川崎大師に参詣するならば、駅名からして川崎大師駅で降りるのがいいと思うが、実はこの東門前からも歩いて行ける。正月などはこちらのほうが幾分か空いていることもある。
もっとも、僕は信心がないので、進んで初詣などはしない性質なのだが、かつて勤めていた会社の習わしで、何度かこの界隈の正月の雑踏に投げ込まれたことがある。
人ごみが嫌いな僕にとっては、あまり愉快なことではなかったが、今日は普段着の京急大師線に会いに来たので、不愉快な思いをすることもない。
産業道路でさらに半分降りる。もう1両に数名ずつしか残っていない。
駅の回りは、いかつい駅名に反してマンションが多い。
煙を吐く工場が少なくなって、また、工場が立ち退いたあとの広い土地がマンション建設に適しているようで、ここに住まいを構える人が多くなったようだ。
かつての川崎の大気汚染を鑑みると考えられないことであるが、今はそうなっている。クルマの排気ガスも、昔に比べればきれいになっている。
ただ、住んでいる人たちには申し訳ないが、あの産業道路の渋滞や、遠景の工場の煙突群を見るに、胸いっぱいに深呼吸をしたい空気かと言われると、いまだにそれはためらわれる。これは物質ではなく気持ちの問題である。
産業道路駅を出ると、駅名の由来たる産業道路を踏切で横切る。頭上は首都高速横羽線だ。
大きなトラックや外回りの仕事をしている乗用車たちが、恨めしげにこちらを睥睨している感じがする。こちらは駅を出たばかりで、スピードが出ていないので、なおさらクルマたちを待たせることになる。
京急蒲田の第一京浜の踏切なき今、全国あまたある踏切の中で、これほどたくさんのクルマを待たせる踏切は他にあるだろうか。
すっかり閑散とした車内のまま、電車は終点の小島新田へと歩んでゆく。
産業道路から小島新田の間は、連続立体化工事の一環で、単線化されている。
すでに足元には、電車を通すトンネルが出来上がりつつあるという。トンネルができれば、あの産業道路を横切る踏切もなくなる。クルマの運転手たちはさぞかし喜ぶだろう。
小島新田駅は単線並列になっていて、電車は右側通行をしながら駅に入線する。
駅前には、小さな売店があって、その向こうにはコンクリートの壁越しにJR貨物の川崎貨物ターミナルが広がっている。
駅前の跨線橋を登ってターミナルの構内を見下ろすと、ごみを入れる白いコンテナを積んだ貨車が、整然と連なっている。
川崎市では、市北部地域からのごみを、ごみ収集車ではなく貨車に積んで臨海部の処分場まで運んでいるという。積み荷がなんであれ、鉄道の有効活用という点では喜ばしい。
京急大師線も、役所のいうところの「踏切除去による利便性の向上と鉄道の有効活用」のため、地下化するのだろう。
だが、それにともない、今日僕が見てきた風景も、そのうち失われた車窓になってしまう。
レンガの壁も、木造の上屋も、工業地帯の大動脈を制する踏切も、である。それを目に焼き付けておくには、今が最後のチャンスかもしれない。
もっともこの日は、夜の酒席で盃が大いにはかどり、川崎で一献だけのはずが、鉄道を有効活用しつつ横浜まで出向いて3軒ほどはしごした結果、僕の記憶が失われた日でもあったのだが。
その人が川崎在住なので、「お互いが東京まで出るのだったら、僕がそのまま川崎まで行きますよ」という話になった。
せっかく川崎に行くのであるなら、京急大師線に乗ろう。
そう決めて、僕はそのまま乗っていても川崎まで行く上野東京ラインの電車を品川で捨て、赤い快特電車に乗り換えた。
2016年7月17日、日曜日。
3連休中日の日曜午後3時過ぎ、京急川崎の地上ホームで待つ4両編成に乗り込む。
僕が乗ったときにはすでに立ち客が出ていた。乗車率でいえば40%ぐらいだろうか。空いている席を見つけて座るが、暑い。よく見ると、弱冷房車であった。
車内の顔ぶれは老若男女さまざまで、まさに街の下駄である。赤ん坊の乳母車と、老人の手押し車が同居している電車もなかなかない。人は老いると子供に戻るというが、この似て非なる2つの「車」は、それをまさに象徴しているような気がする。
定刻15:16に発車。するどい加速が自慢の京急らしからぬゆっくりとしたスタートであるが、それはこの先に急カーブがあるからである。
この急カーブの途中の擁壁に、茶色く古びたレンガ積みの部分がある。このレンガたちは、はたしていつからここにこうして積まれているのだろうかと、少し思いを巡らせるのも楽しい。
急カーブをゆっくりと進むと港町。多少の乗り降りがある。
鈴木町、川崎大師と直線を軽やかに進む。
鈴木町は駅前にショッピングセンターがあり、買い物帰りの人が乗ってくる。
川崎大師で車内の半分が降りる。右に軽くカーブしながら対向電車とすれ違う。
東門前で残りの半分が降りる。上屋は木造のままだ。
東門前。なんと風情のある駅名だろうか。
時間があれば降りて歩いてみたかったが、あいにく今日は約束があるので、寄り道はできない。終点まで往復するのがせいぜいだ。
川崎大師に参詣するならば、駅名からして川崎大師駅で降りるのがいいと思うが、実はこの東門前からも歩いて行ける。正月などはこちらのほうが幾分か空いていることもある。
もっとも、僕は信心がないので、進んで初詣などはしない性質なのだが、かつて勤めていた会社の習わしで、何度かこの界隈の正月の雑踏に投げ込まれたことがある。
人ごみが嫌いな僕にとっては、あまり愉快なことではなかったが、今日は普段着の京急大師線に会いに来たので、不愉快な思いをすることもない。
産業道路でさらに半分降りる。もう1両に数名ずつしか残っていない。
駅の回りは、いかつい駅名に反してマンションが多い。
煙を吐く工場が少なくなって、また、工場が立ち退いたあとの広い土地がマンション建設に適しているようで、ここに住まいを構える人が多くなったようだ。
かつての川崎の大気汚染を鑑みると考えられないことであるが、今はそうなっている。クルマの排気ガスも、昔に比べればきれいになっている。
ただ、住んでいる人たちには申し訳ないが、あの産業道路の渋滞や、遠景の工場の煙突群を見るに、胸いっぱいに深呼吸をしたい空気かと言われると、いまだにそれはためらわれる。これは物質ではなく気持ちの問題である。
産業道路駅を出ると、駅名の由来たる産業道路を踏切で横切る。頭上は首都高速横羽線だ。
大きなトラックや外回りの仕事をしている乗用車たちが、恨めしげにこちらを睥睨している感じがする。こちらは駅を出たばかりで、スピードが出ていないので、なおさらクルマたちを待たせることになる。
京急蒲田の第一京浜の踏切なき今、全国あまたある踏切の中で、これほどたくさんのクルマを待たせる踏切は他にあるだろうか。
すっかり閑散とした車内のまま、電車は終点の小島新田へと歩んでゆく。
産業道路から小島新田の間は、連続立体化工事の一環で、単線化されている。
すでに足元には、電車を通すトンネルが出来上がりつつあるという。トンネルができれば、あの産業道路を横切る踏切もなくなる。クルマの運転手たちはさぞかし喜ぶだろう。
小島新田駅は単線並列になっていて、電車は右側通行をしながら駅に入線する。
駅前には、小さな売店があって、その向こうにはコンクリートの壁越しにJR貨物の川崎貨物ターミナルが広がっている。
駅前の跨線橋を登ってターミナルの構内を見下ろすと、ごみを入れる白いコンテナを積んだ貨車が、整然と連なっている。
川崎市では、市北部地域からのごみを、ごみ収集車ではなく貨車に積んで臨海部の処分場まで運んでいるという。積み荷がなんであれ、鉄道の有効活用という点では喜ばしい。
京急大師線も、役所のいうところの「踏切除去による利便性の向上と鉄道の有効活用」のため、地下化するのだろう。
だが、それにともない、今日僕が見てきた風景も、そのうち失われた車窓になってしまう。
レンガの壁も、木造の上屋も、工業地帯の大動脈を制する踏切も、である。それを目に焼き付けておくには、今が最後のチャンスかもしれない。
もっともこの日は、夜の酒席で盃が大いにはかどり、川崎で一献だけのはずが、鉄道を有効活用しつつ横浜まで出向いて3軒ほどはしごした結果、僕の記憶が失われた日でもあったのだが。
Twitterから来ました、大師線沿線住民です。
返信削除京急川崎~川崎大師間は地下化が中止になり、鈴木町~川崎大師間から地下に入って小島新田へ、ということになるようです。レンガの壁はもうしばらく残りそうです。
コメントありがとうございます。
返信削除レンガ壁の件は、調べたらなるほどご指摘の通りです。不勉強ですみません。