2018年4月23日月曜日

ハローワーク発、金沢経由福井行き(2016年7月 福井鉄道福武線)

 ハローワークに求職者として登録をすると、月に1回求職活動をすれば、失業手当の支給が約束される。極論を言うと、1か月を30日だとして、1日を求職活動に費やせば、あとの29日は何をしてもよいことになる。世間からは怠惰のそしりを免れ得ないが、それは別の問題である。

 だから僕は無職の頃、求職の実績を作るためハローワークに行って、そこで面談なり求職活動を済ませると、1か月分のお勤めが終わったとばかりに、発作のごとく一目散に旅に出ることがよくあった。
 発作とはいえ、大体はきちんと計画を立てて旅をするのだが、今回書き記す旅は、まったくのノープランでまったくもって発作的なものであった。今思えば「よくやったな」と自分事ながら思う。

 2016年7月21日、木曜日。
 大宮のハローワークで仕事を探した帰り、僕は大宮駅前の「いづみや」で酒を呑んでいた。まだ14時で外は明るく、そして暑い。
 とろとろの煮込みや冷えたらっきょうをつまみながら瓶ビールをやっていると、軽い酔い心地の中で、どこかに行きたい気持ちがもくもくと湧いてくるのを感じた。


 僕は酒もそこそこに駅に戻ると、自宅最寄り駅までの140円のきっぷを買えばいいものを、その100倍の14,000円もするきっぷを買って、ふらふらと新幹線ホームに向かった。未乗だった北陸新幹線に急に乗ってみたくなったのである。

 当たり前だが、新幹線は早すぎてあまりおもしろいものではなかった。今までとは違う次元の速さで、軽井沢や長野を横目に、あっけなく金沢へ着いてしまった。未乗線区の歓びをかみしめる余裕も余韻もなかった。
 北陸は、関東からだと何時間もかけて行く遠い場所である。それが新幹線だと2時間と少しで着いてしまう。そこに行くまでの時間や経路も含めての「旅」であり「旅情」であったと改めて痛感させられ、同時に「物足りなさ」を感じた。


 北陸新幹線に乗りたいがために、何となく思いつきで金沢に来たが、新幹線はおもしろくなかったくせに、再び14,000円もの大出費をして、そのままとんぼ返りしてしまうのは輪をかけておもしろくない。
 14,000円ともなると、毎月の失業手当の1/12ぐらいにもなる大金である。たいして愉快でもない乗り物で往復するだけで、貴重な失業手当の1/6の費やしてしまうのはさすがの僕でも耐えがたい。
 それよりも何よりも、僕が完乗達成後、まだ一度も再訪していない鉄道路線が、北陸地方にはたくさんあるのも魅力的だ。いろいろと目移りしてしまい、思案した結果、その日は北陸鉄道石川線を往復して、そのまま金沢駅前のホテルに泊まることにした。


 そして翌日。
 僕は福井県まで足を伸ばして、8年ぶりに福井鉄道福武線に乗ることにした。
 金沢から北陸本線の特急に乗り、武生の駅に向かう。金沢から武生までは、特急で約1時間である。がらがらの車内で足を伸ばしてくつろぐうちに、列車は武生へと着いた。


 福武線のターミナルたる越前武生駅はJRの武生駅を出て、右のショッピングセンターの横を抜けて5分ぐらい歩いたところにある。目立つ案内も特になく、はじめて乗り換えると戸惑うかもしれない。僕も8年前のあやふやな記憶をたどって、やっとのことでたどり着いた。
 駅に向かう途中、福武線の電車が出発するのが見えた。駅の先が左カーブになっているので、電車が出ていくのが見える。



 越前武生駅はいわゆる櫛形ホームで、ホームが2本。それをはさむように線路が左、中、右と3本ある。
 向かって左のホームには路面電車型の小柄な車両が、「ワンマン/急行 鷲塚針原」の表示を掲げて停まっている。白地に窓周りが青、裾回りが緑のカラーリングであるが、名鉄の中古車である。


 電車は客を待っているが、改札口に駅員はいない。列車別に改札を行うらしい。構内を見回すと、ホームのない線路もあって、そこには普通のなりをした電車も停まっている。これは名古屋の地下鉄の中古車。パンタグラフを下げているので、今日は動かないつもりかもしれない。
 券売所には、女性の駅員がひとりで座っていて、黒い大きながま口のいわゆる車掌かばんを開けて、入念に小銭を整理している。きっぷを、と思ったが、よく見ると窓口の隣に、ラーメン屋や社員食堂にある食券機のような味気ない券売機があるので、きっぷはそちらから買うようになっている。
 出てきたきっぷには額面ではなく、「田原町」と行先が書いてあった。電車のきっぷは金額が書いてあることが多いが、これには駅名が書いてある。これではますますラーメン屋の食券である。

 電車の行き先の鷲塚針原とは、えちぜん鉄道三国芦原線の駅である。電車は福井鉄道からえちぜん鉄道に直通するが、えちぜん鉄道は別の機会にするとして、今回は福井鉄道の終点の田原町まで行くことにした。
 発車の5分前に改札が始まる。改札の際、駅員の女史に「電車は鷲塚針原行きですが、田原町まででよろしいですか?」と聞かれたが、ハイと答えて2両編成の後ろの車両に乗り込む。連結部分の通路が、ちょうど古いドアのカギ穴のような形になっていて瀟洒だ。


 武生から乗り込んだのは僕だけであった。
 10時14分、急行電車はゆっくりと越前武生を出発すると、先ほど僕が見かけた電車のように、左にくいっと曲がっていく。線路際まで家が密集している。
 その先にはさっそく1つ目の北府駅がある。北府と書いて「きたご」とよむ。昔は西武生といった。

 北府は車庫があり、電車や機関車が休んでいる。
 僕が乗っているのと同じ型の路面電車型、クリームに青帯を巻いた普通の電車、そしてちょうど漢字の「凸」の形をした、古びた電気機関車。思わず目移りする。
 木造の立派な検修庫も地方私鉄らしくて好感が持てる。

 北府からは直線をひた走る。
 都市間を結ぶ電気鉄道、いわゆるインターアーバンらしく制限速度いっぱいで走る。インターアーバンの説明は少し面倒なので詳細は省くが、関東なら京急、関西なら阪神電車を思い浮かべてもらえればよい。簡単に言えば、駅がたくさんあり、電車が一生懸命走る路線のことだ。
 急行なので通過駅もあるが、ホームが低いので駅を通過しても車内からでは気がつきにくい。
 次の家久で対向列車と交換。あちらは普通の電車型であった。家久を出ると右にカーブして日野川を渡る。そして再び左にカーブすると、にわかに家並みが輻輳してくる。電車が鯖江の街に入ったのである。西鯖江で再び交換。3駅に1回ぐらいのペースで交換しているので、列車本数は多いほうだろう。
 武生から鯖江、福井と結ぶこの福武線は、北陸本線と完全に競合しており、スピードではJRにかなわないので、本数と駅の数で勝負するのだというインターアーバンの本懐を見る気がする。各駅で客を集めてゆく。

 僕は電車の一番後ろの席に座っている。
 そこから誰もいない運転席越しに今走ってきた後ろの線路が見える。それを見ていると、枕木はコンクリートで存外がっしりとしているが、その上に乗った線路が微妙な感じで左右にうねっている。レールの継ぎ目も、JRや都会の電車に比べると多い。
 それにあわせて電車は、ゆらゆらと身体を左右にゆすってがたごととにぎやかに走る。車内は地元のおばさんや高校生が、冷房の風を受けながらまどろんだり本を読んでいる。適度な揺れと快適な空調で、暑い夏の昼下がり、少し休むにはいい車内環境であるかもしれない。
 広い構内を持つ神明を出ると、車窓の左はずっと市街地、右は田んぼが広がる。
 8年前に福武線を訪れたときは2月の厳冬期で、車窓はどこを見ても真っ白か灰色であったが、今回は田植えが終わって青々とした水田がまぶしい。

 福武線の各駅にある分岐器には、豪雪地帯ならではの工夫として、雪が線路にかみこんで分岐器が動かなくなるのを防ぐため、かまぼこ型の雪除け屋根がしつらえられている。これはスノーシェッドとかスノーシェルターなどと呼ばれている。
 ただ、僕の記憶では、福武線のほかではあまり見かけたことがない。記憶にあるのは、北海道各地にある山深い信号所ぐらいである。探せばほかにもあるのかもしれないが、あまり思い当たらない。

 三十八社で停車。対向列車との交換待ちであるがドアは開かない。列車ダイヤの都合で
停まるだけのようである。
 ホームでは電線を張るのかなにか、2人組の作業員が声を掛け合って、黒いケーブルをホームいっぱいに伸ばしている。
 やってきた対向の電車も急行で、三十八社には停まらず、ゆっくりとこちらの傍らを抜けてゆく。向こうも路面電車型ではあるが、いま風の曲面主体のデザインになっている。新車だろうか。
 電車の後ろから見ていると、その黄色く丸っこい車体が、昔の日産スカイラインのような赤い円のテールランプを残して、スノーシェッドの下にある分岐器をくねくねと渡ってゆく。信号が変わってこちらも出発。浅水でも普通と交換。

 花堂から複線になって、赤十字前。
 電車を出迎える駅員が、構内踏切のところに立って、列車に向かってコウベを垂れている。よその鉄道ではあまり見ない光景だ。
 構内には電動貨車が、デンと鎮座している。もうだいぶここから動いていないといった感じがする。帰ってから調べたら、冬になると雪かきのために動くという。走っているところを見てみたい。

 赤十字前を出ると、おもむろに電車は、クルマたちを制して広い十字路の真ん中に歩み出てゆく。ここから終点の田原町、それと途中で分かれて福井駅まで行く区間は併用軌道、平易に言うと路面電車となる。
 先ほど武生や北府や家久で見てきた、いわゆる「普通のなり」をした電車も、僕が乗った路面電車型と同じように道路の真ん中を走る。
 ただし、普通の電車だと、路面電車用の低いホームと電車の出入り口の間に大きな段差ができてしまうので、電車のほうに収納式の足かけがついている。福井鉄道の枕詞は「併用軌道に大型電車」となるぐらい、福井の名物のように思われる。
 本当はその光景を見たかったのだが、今日はあいにく見られそうにない。

 僕はそのまま福武線の終点である田原町まで乗り通し、折り返して福井駅までの枝線に乗ってみようと思っていた。
 だが、せっかく福井まで来たのだから、少し街を歩きたい。そう思って、僕は田原町から仁愛女子高校という電停まで、一駅だけ歩くことにした。
 歩くといっても、この辺りは観光地ではないので、これといって見るものはないのだが、旅人のさがとして、訪ねた街は少しでもいいから自分の足で歩いてみたい。仁愛女子高校の電停まで、何の変哲もない街中の歩道をてくてく歩く。


 だが、仁愛女子高校の電停で、福井駅までの電車を待っていると、僕が乗るのとは逆方向の線路に、期せずして「普通のなり」をした電車が、ヘッドライトを輝かせて道路の真ん中を走ってくるのが見えた。先ほど家久ですれ違った電車が折り返してきたのだろう。


 田原町から歩かずに電車で折り返していたなら、すれ違いこそすれ、街中を走っている姿をこの目で見ることはできなかったはずである。
 並んで走るクルマの背丈の3倍はあろうかという白い巨躯が、クルマと同じ信号に従ってしずしずとやってくる様子は、昨日の北陸新幹線の無聊をなぐさめるがごとき、何とも言えぬ爽快感があった。

 思いつきであろうと、手段は何であろうと、当地の風物をありのままに愛でられれば、やはり旅は愉快なものである。

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