2018年8月4日土曜日

西に行くために北へ向かおう(2015年8月 埼玉~福島)

 例えばの話であるが、東京から大阪に行くのに、新潟や長野を通る行程を組む人はそういないと思う。
 心理学的に何というのかわからないが、人というものは、近道があればそこを通りたいという習性がある。用事もないのにわざわざ遠い経路を経る意味が見いだせない。普通はそうであろう。
 人が遠回りを肯ずることができる唯一の状況は、旅ではないかと思う。
 日頃、気ぜわしい移動ばかりをしていると、せめて旅の中だけでも遠回りをしたくなるし、旅程の端々にいろいろな目的を詰め込むと、自然と遠回りせざるを得なくなる。
 旅の本質とは、遠回りと寄り道にあると思う。今回は、拙宅のある埼玉から大阪を目指して、本州をじぐざぐに旅をしてみることにした。

 2015年8月9日日曜日。10時7分。
 土呂で僕を乗せた東北本線の普通電車は、北を目指してゆっくりと走り出した。この電車は古河止まりなので、車内はがらがらである。
 蓮田や久喜の住宅地を抜け、利根川を越えると、線路際に一瞬だけ茶畑が見えて、おや、こんなところ茶畑があったかなと思う。
 調べてみると、このあたりで採れるお茶はさしま茶という名前で売られているという。さしまの名は、このあたりの郡名である「猿島」から取られており、今の千葉県北西部を統治していた関宿藩が茶の栽培を奨励したことがきっかけで広がったもので、江戸時代末期、鎖国が解けてすぐの頃にアメリカへ輸出されたという。
 かように由緒あるお茶なのに、僕は今までその存在を知らなかった。

 茶畑のそばを駆け抜けた電車は高架を登って、定刻通り10時40分に古河駅に着いた。
 僕が乗ってきた電車はここまでなので、いったん降りて次の電車を待つ。構内には立ち食いそば屋がある。僕は、少し早めの昼飯になるが、ひや汁うどんを食って次の電車を待つこととした。暑い只中に塩気の利いたうどんがありがたい。


 次の電車は11時4分発の宇都宮行きである。これも定刻通りやってきた。
 今度はそこそこ乗っている。その中に小学校低学年ぐらいの兄妹がいて、兄は読書感想文の課題図書らしき本を、妹は間違い探しの本を、それぞれ静かに読んでいる。夏休みらしい情景だと思う。
 読む本も探すべき間違いもない僕は車窓を眺める。古河から小山の間は、駅の周りこそ住宅や商店があるが、駅間には見渡す限りの田畑が広がっていて、果てがどこなのか皆目見当がつかない。神奈川県のど真ん中の河岸段丘で育った僕には、関東平野の広さの実感が乏しい。
 そんな僕であるから、この辺りまで来ると、関東平野がいかに広い場所であるかと瞠目することになる。電車の窓から、富士山、丹沢の南端である大山、そして高尾、陣馬、秩父の並びと遠くに控える浅間、そして赤城に日光連山、最後に筑波と、関東平野をぐるりと取り囲む山並みが一望できるのは壮観だ。
 一度でいいから、建物のない関東平野というものを見ることができたら、どんなにすがすがしいことだろうと思う。

 宇都宮では10分の乗り換えで、11時55分発の黒磯行きに乗る。
 これは4両しかつないでいないが、すでにかなり乗っている。そこに僕が乗ってきた電車からの乗り換え客が加わるので、座れないことも覚悟したが、幸いにして席にありつくことができた。
 電車の揺れに加え、胃袋にたまったうどんの効能もあって、宝積寺から野崎まで居眠りをしてしまう。このあたりは夜に通ることが多く、車窓を見たことがほとんどないので、今日こそはしっかりと見ようと思ったのだが、今回も思いを果たせなかった。
 それにしても夏休みだからか、よく乗っている。満員とまではいかないが、つり革のほとんどに人がぶら下がっている。乗客たちは西那須野でどっと降りたが、それでも半分ぐらいは黒磯まで乗っていた。


 黒磯12時45分着。ここでまたもや乗り換えであるが、急ぐ旅ではないので構わない。次の列車は13時33分発である。40分ほどあるので、駅の外に出てみる。
 今日はたまたまお祭りをやるらしく、駅からの大通りは提灯で飾り付けられている。路傍には大小さまざまな大きさの和太鼓が出ていて、一番大きな太鼓には「巻狩太鼓」と書かれた紫色の幕が掛けられている。太鼓の演奏が始まるのであれば聴いてみようと思ったが、あいにく演者の姿は見えない。徒歩では行ける範囲も限られているので、適当に街をぶらついてから駅に戻る。


 黒磯駅は那須高原の玄関口である。東北新幹線の駅が黒磯の一つ隣の東那須野、今の那須塩原に造られて以来、その役割は希薄になっているが、黒磯駅の構内には、皇族方が那須の御用邸に向かう際に立ち寄った貴賓室がある。
 そしてもうひとつ、黒磯駅と聞いて忘れてはいけないものがある。それは電車を走らせる電気の切り替えである。黒磯駅を境にして、南側は直流、北側は交流になっている。
 おまけにここは、日本ではここにしかない、同じ架線に直流と交流を印加できる仕組みを持った切替え地点になっている。通常、直流と交流の切り替えは、あいだに電気の流れない区間を設けて、列車を走らせながらやるのであるが、ここでは列車を停めて、頭上にある架線に流れる電気の種類を変えるという芸当をやってのけるのである。
 どういうことかというと、電車の頭上の電線、すなわち架線に直流が流れている間は直流用の電車が、交流が流れている間は交流用の電車がそれぞれその線路に入ることができる。そこに入ると、電車はいったんパンタグラフを下げ、車両の回路を直流から交流、あるいはその逆につなぎかえる操作をしておく。その間に頭上の架線の電気も切り替えられるようになっており、準備が整ったら電車はパンタグラフを上げて出発する。
 おかげで黒磯の構内には、いたるところに複雑な電源関係の装置が並んでいて、それらは一見しただけ、いや、しばらく凝視してもいったい全体どんな仕組みになっているのかよくわからない。一本の同じ電線に直流と交流の両方を流せるようにするには、素人が思うよりもずっと面倒くさいことなのかもしれない。


 ホームの北の端に行くと、大きな一眼カメラを抱えた人が、一心不乱に赤い交流用機関車たちを撮影している。一方、反対の南側に行ってみると、今度は青いボディの直流用機関車がたむろしている。  
 電源の異なる機関車たちが、それぞれ越えてはいけない一線を挟んで対峙しているようで面白い。その様子を眺めるうちに、僕はなぜか、イギリスの議会にある「剣線(ソードライン)」を思い浮かべた。
 そんなことを思っていると、僕の乗るべき電車がやってきた。

 13時33分発の郡山行き鈍行は、銀色に緑帯を巻いたロングシートの電車である。黒磯より北に行くので、これは交流で走る。その証拠に、パンタグラフ周りの配線が直流のそれに比べて物々しい。交流で走る電車に乗ると、旅に出た実感がいよいよ湧いてくる。
 僕は、この郡山行きが、てっきり2両ぐらいの短い編成で来て、すごく混むのかと思ってたら、6両もつないできたのには驚いた。それとともに、僕は長い列車を見てうれしくなった。


 僕は、列車の長さはその路線の格を表すと思っている。東北本線のような偉大な幹線で、たったの2両だとか4両では、正直言うと寂しいと思う。その点、6両もつないだ列車ならば、大幹線たる東北本線にふさわしい貫禄を持った列車である。僕は欣喜雀躍として列車に乗り込んだ。
 6両もつないでいるので、車内はがらがらである。ロングシートは一般に旅人から敬遠されがちだが、空いている列車であれば、疲れたら足を伸ばすこともできるし、体をひねれば自由に外を見られるので、僕としては案外快適である。
 鉄道会社が聞いたら怒るかもしれないが、列車というものは、たくさん車をつないで、できるだけ空いている方が快適でよい。


 列車は僕のほかにわずかな客を乗せて、定刻通り黒磯のホームを離れた。駅を出てすぐに那珂川の橋を渡る。
 東北本線で福島に入る時にいつも思うことだが、東北本線における関東と東北の境目はとても曖昧だと思う。黒磯という運行上の境界はあるものの、高い山脈があったり大きな川があるわけでもなく、田畑や丘陵の間をのらりくらりと進んでいくうちに、いつの間にか東北に入っている。那珂川が力不足、というわけではないが、これは黒磯駅を出てすぐ渡ってしまうので、地域の境としては余韻と情緒が足りない。

 僕は今日は会津若松に宿を取っている。最短で今日の目的地に向かうには、この郡山行きに乗り続け、郡山で磐越西線の鈍行に乗り換えれば16時12分に着いてしまう。
 だが、僕はこの郡山行きに乗り続けるのではなく、途中の白河駅で降りることにしていた。白河駅から接続している鉄道路線はなく、乗り換える列車もない。そんな白河駅に、なぜ僕が降りるのかというと、それはバスに乗るためであった。
 時刻表の索引地図をよく見ると、白河駅から水郡線の磐城棚倉という駅まで、細くて青い線が伸びているのを見つけられる。僕はその青い線に乗りに来たのであった。

 14時ちょうどに白河着。青い線の主たるバスは14時45分発なので、三角屋根を頂く瀟洒な駅舎に併設されたカフェで、時間調整がてらアイスコーヒーを啜りながら、しばし憩う。
 僕がこれから乗るバス路線は「白棚線(はくほうせん)」といい、ジェイアールバス関東が運行している。もとは鉄道路線であったが、第二次世界大戦の中で不要不急線として線路が撤去されてしまい、戦後、バス路線として復活したものであった。その来歴から、かつて線路だった場所がバス専用道になっているという。
 かつて鉄道路線であったところを辿れる―。
 国内全線完乗を果たし、新たに乗るべき路線がなくなった僕にとって、このことはとても魅力的であった。それがゆえに、僕はこの白棚線を今回の旅程に組み込んだのであった。


 「後乗り前降り」と書かれたバスに乗り込む。客は僕を入れて5名。そのうちの1名は運転席の横に座ってビデオカメラを据え付けて、運転手に撮影の許可を求めている。「自分の顔が写らなければいい」と、けだるそうに答える運転手。どうやらこのバスに乗っている好事家は僕だけではないようである。
 あとの乗客は地元の人のようである。白河駅から新幹線接続駅の新白河駅を経由して、バスは郊外に躍り出る。ショッピングセンターで客を拾ったり住宅地で降ろしたりしながら、しばらく国道を走ると、おもむろにバスは右にハンドルを切って、田んぼの中の細い一本道に入る。これが例のバス専用道かと思う間もなく、バスはどんどん加速していく。
 それにしてもひどい「保線」だ。路面の凸凹をサスペンションがてきめんに拾ってバスの車体がぎしぎしと軋み、客は上下に揺さぶられる。僕はバスの一番後ろの長椅子に座っているが、ここはリアオーバーハング部なので特に揺さぶりがひどい。正直、乗り心地は褒められたものではなく、これなら一般道を走ったほうがマシである。バス酔いする人にはとてもお勧めできない乗り物だ。
 だが、専用道も悪いことばかりではない。バスの通行を邪魔をする車や自転車はおらず、バスはスムーズに走っていくし、時折、鉄道の雰囲気を残す切通しや、踏切遮断機があってもおかしくなさそうな道路との交点もある。途中の「番沢」という停留所などは、待合室もあってバス停というよりも鉄道駅に見える。
 ふと前を見ると、反対側からバスがやってくる。単線の線路敷を流用したバス専用道に、バスがすれ違いできる幅員はない。だが、ところどころにうまい具合で高速道路の非常駐車帯みたいな膨らみがあって、バスはそこで「行き違い交換」をする。早く来た方が膨らみに入って、相手のバスをやり過ごすのである。バスに乗っているが、やっていることは鉄道のそれである。愉快なことである。


 白河駅から1時間ほどで水郡線の磐城棚倉駅に到着する。駅は「たなくら」であるが、町名は「たなぐら」である。どちらが正しいのかはよくわからないが、駅名と地名の読みが異なる事例は日本全国どこでもあることだ。
 バスはこの先、祖父岡(そぼおか)というところまで行くらしいが、そこがどこにあるのか見当がつかない。そもそも「祖父」と書いて「そぼ」と読ませるのが腑に落ちない。どんなところか気になるが、今回は深追いせず水郡線の客となる。


 磐城棚倉16時21分発の水郡線郡山行きで郡山17時26分着。
 ここで晩飯がてら一杯ひっかけようかと思ったが、日曜の夜で店がことごとくやっていないので、あきらめて駅そばをたぐってから、19時2分発の会津若松行きに乗る。


 2両編成はほとんどの椅子に客を座らせて会津若松へ出発した。電車は坂を65km/hぐらいで登っていく。モーターと車輪の音が響く車内で、窓には疲れた人々の顔が写り込む。途中駅ですれ違った郡山行きも座席が埋まって立ち客もいるが、あちらも車内から疲れ果てた空気が漂う。
 けだるい日曜夜の雰囲気の中、列車はときたまピョーと汽笛を鳴らすが、列車の進来を警告すべきものは車窓には見当たらない。昼間なら雄大な磐梯山でも仰ぎ見るが、夜ではそれすらかなわない。やることがないので車窓の闇に目を凝らすが、当たり前のように闇しか見当たらない。うら寂しい1時間20分を過ごし、20時23分会津若松着。

 僕はホテルに荷物を投げ出すと、手近な飲み屋に入った。会津娘と馬刺しで一献を上げて、長い旅の1日目が終わった。


 明日は新潟を経由して、長野県の塩尻を目指す。

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