2021年4月17日土曜日

旅する無職 2日目 小倉~直方~博多

 僕は今まで幾多の旅をしてきたが、人を訪ねる旅というのは、実のところ数えるほどしかない。それは、僕が人付き合いが苦手なのと、旅といいながらも列車に乗ってばかりいて、誰かに会う時間を取れないことが多いからである。
 多くの場合、僕は思い立っていきなりふらふらと旅に出るものだから、迎える側としても何らの予告もなく来訪されたところで、応対のしようがないのもわかる。
 ところが僕が今いる福岡県には、せっかくなので訪ねてみたいと思う顔が何人か思い浮かぶ。先を急ぐ旅でもない。今日は列車に乗るのは控えめにして、3名の知人を訪ねることにする。

 1人目の知人であるY氏に会うには、直方という街まで行かなけばならない。僕が今いる小倉から直方に列車で向かうには2つのルートがある。ひとつは鹿児島本線の折尾というところで筑豊本線に乗り換えるルート。こちらは1時間程度で着くが、車窓で見るものといえば八幡の製鉄所と筑豊炭鉱のボタ山ぐらいしかなく、列車から社会科見学をすることになる。
 もうひとつは日豊本線で行橋に行き、そこから平成筑豊鉄道に乗り換えるルートである。こちらは大いに遠回りするので2時間近くかかる。平成筑豊鉄道はひなびた丘陵地帯を走る。とりたてて見るべき風景でもないが、製鉄所を眺めているよりは旅の気分が盛り上がる。

 僕は産業と生産への敬意は持っているつもりであるが、社会科見学をするために列車に乗るつもりもないので、行橋回りで向かうことにした。小倉9時22分発の新田原(しんでんばる)行きに乗るが、これで行橋に着いても平成筑豊鉄道への接続が1分の差で間に合わない。行橋で時間を潰す手もあったが、僕はそれを選択せず、座ったばかりの椅子から腰を浮かせた。


 次の西小倉で列車を降り、駅を背にして、車が行き交う通りを5分ほど歩くと、左手にお堀と石垣が見えてくる。石垣の上から堀に桜が覆いかぶさるように咲き誇っていて、その水面には散った桜の花が浮かんでいる。それを愛でながらさらに進み、松本清張記念館の角を左に入ると小倉城がある。松本清張記念館も気になるが、記念館の類は一度見始めるときりがないので今日は訪問を控える。 
 城と言っても、小倉城は再建天守で、オリジナルはとうの昔に火事で焼けたという。よって、今石垣の上に鎮座しているのは、漆喰ではなくコンクリートで出来たものということになる。僕は城は好きであるが、再建天守というものにはあまり興味がない。中を見たいとも思わなかったので、桜を愛でながら城の周りを散策して時間を潰すことにした。


 小倉城のある勝山公園は、もともと陸軍の造兵廠、つまりは兵器工場の敷地であった。その縁か、園内に大砲が置いてあるのを見つけた。旧軍の「四年式十五糎榴弾砲」という代物らしい。
付設の石碑には『この野戦重砲は砲架車と砲身車に区分し、機動力増大・湾曲弾道の利用と発射速度の増強…』云々のいささか堅苦しい説明文が彫られている。砲口を覗くと砲弾の弾道を安定させるライフリングの様子がうかがえ、傍らには砲弾も置いてある。大砲など実見する機会はそうそうなく、城よりもこちらを鑑賞する方が面白かったので、僕はこの大砲をあちこちの角度から眺めて時間を潰した。



 西小倉駅に戻り、ホームの端から線路を見る。線路は僕の目の前で二又に分かれている。右に行けば博多と熊本を通って鹿児島に至り、左に行けば大分と宮崎を通ってやはり鹿児島に至る。ここで別れた線路が、数百キロ先で再び出会う。そして、左右に分かれていく線路の、そのどちらにも自由に進むことが、今の僕には許されている。
 分かれゆく線路の先を交互に見つめながら、あらためて僕は夢にまで見た自由な旅の日々が始まったことを実感した。今の僕を縛るものは列車のダイヤだけで、それさえ何とかすれば好きなだけ旅ができる。それを思うと、僕は心が強烈に揺さぶられ、思わず膝から崩れ落ちそうになりそうになった。


 しかし、今日は人を待たせている。こんなところで擱座しているわけにはいかないと気を取り直し、10時14分発の客となって10時41分行橋着。10時58分発の平成筑豊鉄道直方行きがあるのでこれに乗り換える。黄色のディーゼルカーが僕を迎える。この路線に乗るのは2年ぶりであるが、それが何だかとても遠い昔のように思える。この数年、僕はあまりにも働きすぎた。しばらくは厭わしい俗世間から遊離して、自由気ままに旅だけをしていたいと思ううちに、ディーゼルカーはゆっくりと行橋のホームを離れる。


 Y氏の最寄り駅までの駅数を確認するため、車内の路線図を見る。美夜古泉、今川河童、東犀川三四郎、源じいの森、ふれあい生力…。変わった名前の駅が多い。
 平成筑豊鉄道は、JR九州の3本の不採算路線を引き継いで成立した歴史がある。その起源をたどると、筑豊炭田からの石炭を港に運搬するために建設された古い鉄道路線である。当時は人を乗せるよりも石炭を運ぶことに主眼が置かれていたのと、頻繁な加減速が苦手な汽車が走っていたため、駅と駅の距離が長かったり列車の本数が少なかったりで、地域の人にとって使いやすい鉄道とは言いがたかったという。
 そこで平成筑豊鉄道では、JRからの移管後、駅を徐々に増やしていった。先の変わった名前の駅のほとんどは新設駅である。駅に加えて列車本数も増やし、その結果、駅数・列車本数のどちらもがJR運営の頃に比べて約2倍になったというから驚きである。
 車窓から見ていると、新しい駅は単線の線路際にホームとこじんまりとした屋根が設えてあるだけの簡素な造りが多いことに気がつく。ところが古くからある駅は構内が複線になっていて列車同士の行き違いができ、なおかつその行き違い用の線路がとても長い。これは石炭を満載した長い貨物列車がすれ違っていた頃の名残りで、1両や2両のディーゼルカーがトコトコ走る今の平成筑豊鉄道にはほぼ無用の設備であるが、線路の配置はおいそれと変えられないので今でも残っている。


 線路の横に川が流れている。名前を今川という。目を凝らして見ていると、その途中に簗が仕掛けてあるのが見えた。魚がかかっている様子はなかったが、簗にも種類があって、下流から遡行する魚を待ち構えるものと、上流から下ってくる魚を攫うものの2つがあることを知った。確かに一方を狙うだけよりも、上下両方を狙った方が確率論では漁獲の可能性が高まる。
 列車で旅をしていると、下り列車、あるいは上り列車に乗っただけでは、その路線の車窓の半分しか見ていないのではという思いに駆られることがある。列車の上下だけではない。進行方向の右側の座席を占するか、あるいは左側に陣を築くかでも車窓は全く変わるし、ボックスシートであれば進行方向に向いて座るか、あるいは背を向けて座るかという因子もあるだろう。
 せっかく自由な時間を得たのであるから、僕もあの簗に仕組まれた企みのように、上りの車窓も下りの車窓も、右も左も前も後もすべて見るんだという貪欲な旅をしていきたいと思う。


 約束した駅に降り立つと、Y氏は自慢の青い愛車で僕を迎えに来ていた。駅前のスーパーマーケットで酒や食材を買ってY氏の家に向かう。
 Y氏とはNo氏主催のカラオケ大会を介して知り合った。知り合ってまだ3年ぐらいであるが、僕が九州に来るたびに歓待してくれるのがありがたい。前々回は小倉で焼肉、前回は下関で魚のうまい店に招待してもらったが、今回はY氏の休みの都合もあり、僕がY氏の自宅を訪問する運びとなった。
 Y氏はいろいろな美酒美食の店を知っているが、自ずから料理をしても店に劣らぬ腕前を持っている。今日は僕が来ると聞いて、きのこカレーを作ることにしたという。僕は料理の心得がないので手伝うわけにもいかず、台所でその始終を見ているだけであったが、氏の手際のよさにあっけにとられるばかりであった。それもそうだろう、聞けば昔スーパーの総菜売り場で働いていたという。
 昼飯としてカレーとビールをご馳走になり、たわいもない話をしているだけで時間があっという間に過ぎていく。テレビはそのうちに愚にもつかないワイドショーを流しはじめて辟易するが、春の窓の外から遠く平成筑豊鉄道の轍を刻む音が聞こえてくるのが何とも心地よい。このままくつろいでいてもよいが、今日はまだ別の人に会う約束があるので、氏と再会の誓いを交わし、カレーでくちくなった腹を抱えて駅まで歩いて戻る。



 やってきた列車で直方駅に至る。
 駅前通りを真っ直ぐ進み、続いて左に折れて10分ぐらい歩くと、今度は「筑豊直方」という駅がある。ややこしいが「直方」と「筑豊直方」は別の駅で、直方はJRと平成筑豊鉄道の駅で、筑豊直方には筑豊電鉄という私鉄路線が発着している。これは直方から黒崎までを結ぶ16kmちょうどの路線である。
 高架となっている筑豊直方のホームに上がると、路面電車型のかわいらしい車両がちょうど出発するところであった。車両の見てくれは路面電車であるが、筑豊電鉄に道路上を走る区間はない。これは昔、門司や小倉などを走っていた路面電車と直通していた名残りで、直通先が廃線になっても車両の形だけが路面電車のままとなっている。
 しばらく待っていると黄色い電車がやってきた。出発するといきなり長大な遠賀川橋梁を渡る。雄大な造りの橋の上を2両の短い電車がゴトゴトと渡っていくアンバランスさが不釣り合いに感じられ、河川敷に降り立ってその光景を見てみたい衝動に駆られるが、残念ながら僕は電車の中にいる。

 最初は運転士だけのワンマン運転であったが、夕方のラッシュに差し掛かるからか、楠橋(くすばし)という駅で車掌も乗ってくる。見るとガマ口のような形の真っ黒い車掌カバンをたすき掛けにして、乗ってくる客に切符を売ったり両替などをしたりしている。ICカード全盛で客も車掌もきっぷや小銭など持たぬこのご時世、車掌カバンという代物を久しぶりに見た気がする。
 こまめに客を拾うため、直方から黒崎までの16kmの間に小さな駅がいくつもある。電車は、路面電車の昇降口に合わせて低く設えられた駅のホームに滑り込み、客を乗り降りさせ終わると、線路を蹴るように勢いよく出発する。そのままモーターが壊れてしまうのではないかというぐらいの甲高いギアノイズを足元から奏でながら全力でトップスピードまで加速していって、惰行もそこそこに強烈な制動に移行しては次の駅に停まることを繰り返す。
 それは、僕が愛してやまない都市間電気鉄道、いわゆるインターアーバンの走りそのものである。電車という機械の使い方としては極致ともいうべき、その美しく熱い走りに僕は思わず夢中になり、黒崎までの45分はあっという間に過ぎた。


 今日この後会う予定の2氏、Y女史とG氏は博多在住である。であるから、黒崎から博多まで直行してもよかったが、僕は香椎線に寄り道したくなって香椎で降りた。
 香椎線は香椎を中心に西戸崎と宇美という駅を結ぶ25.4kmの路線で、元は志免炭鉱から産出される石炭を港に運搬するための路線であった。そういう意味では午前中に乗った平成筑豊鉄道と兄弟のような路線といっていいかもしれない。
 地図を見ると、香椎線はその線名の由来たる香椎駅を串刺しにするように敷設されていて、両端の西戸崎、宇美ともに行き止まりの駅になっている。始点・終点ともに他の路線と接続がないという路線はJRでは珍しい。ちなみに、石炭の積出港があったのは西戸崎のほうで、炭鉱は宇美にあった。ウミという響きにだまされてはいけない。
 今日は時間の都合もあって、香椎から海側の終点の西戸崎までを往復する。
 この区間は砂州である海の中道を走る。古びたディーゼルカーは、砂丘の中を意外とスピードを出して走っていく。海は近いが砂丘に視界が阻まれ見えない。西戸崎に着いたら海を見に行くかと思ったが、空はいつの間にがどんよりとした雲に支配されている。西戸崎に降り立つと同時ぐらいに雨が降り始め、海に行く気も失せてしまった。乗ってきた列車でとんぼ返りをして博多に向かう。

 多くの人が行き交う博多駅の自由通路の雑踏で孤立していると、さすがに心細くなる。これだけ人がいるのに、たったのひとりも知り合いがいないと思うと、自分が世間からの落伍者のように思えるし、今は仕事もせず、実際に落伍している状態でもある。そこにY女史とG氏が現われ、僕は思わず安堵した。両氏との約束の発端は、僕が博多に行くので、ぜひ一緒に晩飯でもという話であったが、店は先ほど通ってきた香椎にあるという。夕方のラッシュで混み始めた電車に乗り込み、両氏の先導で香椎の西口改札を出て、西鉄の高架をくぐった先にある店に誘われた。


 博多といえばラーメンやもつ鍋、水炊きと思われるが、実は魚介がうまい。あまり意識しないが、博多は日本海側の街である。とはいえ日本海側にありがちな陰湿さが感じられないのは豪雪がないからか、それとも九州=南国という、よそ者のいささか勝手な先入観のせいであろうか。どちらにしろ日本海側の魚がまずいはずがない。
 しばらくの間、刺身やイカを肴にしながら両氏と愉快に酒を飲んでいた僕の耳に、ふと隣席の酒宴の話題が聞こえてきた。業務上の付き合いか、あるいは接待なのかわからないが、しきりに御社弊社の類の話をしている。その話題に出てくる社名のひとつに、僕が社畜だった時に担当していた会社の名前が出てきた。うんざりするほと見聞きし、口に出したその社名を、今は他人事として聞いているのが不思議でならない。
 一方で、業務上の酒宴での話を冷静になって聞いていると、それには中身も意義もなく、ひたすらに空虚であることを思い知らされる。それもそうだ。会社の金で飲む酒の中で、会社の業務に損失を与えるような際どい話などできまい。酒は互いを知るための手段の一つであるが、それは腹を割った同士での話である。それぞれ越えてはならない一線を引いた酒に、いったい何の意味があるのだろうか。度を越して相手を酩酊させれば本音も聞けるかもしれないが、酒は自白剤ではない。適度かつ愉快に飲むべきものである。3日前まではあんなくだらない世界の一員だったのかと思うと、やはり仕事を辞めて正解だったと思いながら、僕は意識を我が卓の酒宴に復帰させた。

 店を出ると、Y女史のご主人であるE氏が顔を出してくれた。車で奥方を迎えに来たのである。E氏とも短い時間であったが再会できたのは収穫であった。車で帰っていく夫妻を見送り、G氏と香椎の駅から電車に乗る。最寄り駅で降りるG氏とも別れ、僕は雨の博多駅に降り立つと、ホテルまでひとり歩いて行った。
 今日は人が待っていた。だが、明日から僕はまた、誰も待っていない旅を続けることになる。

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