2022年3月21日月曜日

旅する無職 4日目 鹿児島~都城~吉松~人吉~熊本~博多~門司港

 長い旅を計画すると、どうしても1日ぐらいは旅程の出来栄えの悪い日が出てくる。何度検討しても乗り継ぎが悪かったり、おもしろい経路や列車が見いだせない、中だるみのような日である。
 この旅では、今日が出来栄えの悪い日だと思う。
 今日は2016年4月8日。手元に書き留めてきた旅程の「4月8日」のところを見ると、その半分ぐらいは昨日通ってきたルートをさかのぼることになっている。都城から吉松を走る吉都(きっと)線に17年ぶりに乗れるのが、数少ない楽しみである。

 どんよりとした空の下、朝8時半に鹿児島中央駅のホームに立つ。
 折しも到着した指宿枕崎線の4両編成のディーゼルカーが、勤め人や学生をホームに吐き出している。車両はディーゼルだが、ラッシュの様子は都会の電車と変わらない。どうにも先入観としてディーゼルカー=地方路線という刷り込みがあるが、ここは人口60万を誇る鹿児島市、その郊外を走る指宿枕崎線は立派な都市近郊路線である。
 そんな日常風景を見ながら、一度でいいからディーゼルカーで通勤通学する人生を送ってみたいとも思う。


 8時49分発の日豊本線特急「きりしま6号」宮崎行きは、4両編成のローカル特急である。
 一つ目の鹿児島駅を出て、島津藩が築いた集成館を左にちらりと見ると、右手に鹿児島湾が見えてくる。その中に浮かぶ桜島は、あいにく上半分が雲に隠れていて全容がうかがえない。この鹿児島湾も、もともとは火山活動に起因するカルデラで、あまり知られていないが海底火山もあるというが、そんな素振りすら見せない、静かな水面が広がっている。
 国道10号を行く車の流れと抜きつ抜かれつをしながら、特急はガタゴトとせわしなく東へと走っていく。昨日の隼人からの鈍行といい、この辺りはやはり線路があまりよくないらしい。最も、ガタゴトいうほうが僕のような電車乗りは楽しいのだが。

 隼人の先で、昨日乗った肥薩線が左へ分かれていくのが見える。
 いや、歴史的経緯からすると、正確にはこちらが肥薩線から右に分かれているのだが、ともかくそれを見送って、一つ先の国分を過ぎると、こちらの線路もにわかに山間を走るようになる。
 左右は見事に杉ばかりで、花粉が苦手な人には耐えがたい区間であろうが、窓の開かない特急は黄色い粉など気にすることもなく駆け抜けていく。
 途中に霧島神宮という小さな駅があって、特急は思い出したように停まる。
 霧島連峰は天孫降臨の舞台で、霧島神宮には天照大神の孫にあたる「ににぎのみこと」が祀られている。駅から霧島神宮へはバスを使っていくらしいが、神仏への信心や興味がない僕は、このまま特急に座っていくことにする。


 都城10時7分着。
 ここはもう宮崎県で、駅名看板の次駅のところにも「ひゅうがしょうない」と書いてある。
 日向、その響きと土地の特徴がここまで一致した旧国名なり令制国名はほかにないと思う。宮崎といえば強い日差しに揺れるフェニックスの木という絵にかいたような南国のイメージが浮かぶ。本当は今日もそんな天気であればよかったのであるが、空を見上げるとあいにくの曇りである。
 10時18分発の吉都線吉松経由隼人行きは曇天の下、エンジンを震わせて定刻通り都城を後にした。車内を見回すと意外にもぽつぽつ乗っていて、僕と同じような旅装の人もいる。

 17年前の記憶はもう亡失していて、はたして吉都線の車窓はどんなものだっただろうかと、築堤を走る列車から改めて窓外に目をやる。
 吉都線は九州のローカル線では珍しく、谷や川に沿って走るようなことをあまりしない。いにしえの火山の爆発で出来た盆地群をつないで走っているから、険しい山を登る必要がないのである。車窓には広々とした緑の畑が広がっている。このあたりもシラス台地なので、水を必要とする田んぼはあまり見られない。遠くに霧島連峰が見えるものの、雲に隠れていてその頂きは見えない。
 吉都線はディーゼルカーだけが走る非電化路線であるが、谷頭(たにがしら)という駅の構内には架線が張ってある線路がある。線路の前後はどこにもつながっていない。この線路は何に使うのか気になると思っているうちに、僕はふいに居眠りをしてしまった。17年ぶりに乗る路線での居眠りは痛恨の一言に尽きる。ましてや相手は宮崎から鹿児島の間を走る吉都線である。また来ればよいとは思うが、関東からそうやすやすと訪ねられる路線でもない。


 目が覚めると列車は高原(たかはる)という駅に停まっていた。ちょうど吉松からやってきた対向列車と行き違う。
 外を見ると、文字通り高原の中にあるような清々しい駅である。そういえば吉都線には、別名として「えびの高原線」という愛称がついている。
 高原の次は広原で、線路の横にホームが1本あるだけの駅である。九州では「原」を「はる」だとか「ばる」と読ませることが多いので、ここも「ひろばる」だと思ったら、駅名看板には「ひろわら」とある。この駅は全長61.6kmの吉都線のちょうど真ん中、吉松起点30.8kmにある。
 線路の周りににわかに家が建て込んできて、小林に着く。この小林は、吉都線沿線では一番大きな街で、この列車でも若干の乗り降りがある。
 ここからは車窓は家並みと乾いた畑とを繰り返すようになる。途中にえびのという駅があって、古そうな木造駅舎なので気になるが、列車は何事もないかのようにすぐに出発してしまう。

 吉松11時46分着。3分の乗り継ぎで人吉行きがある。これは観光列車の「しんぺい」という。列車名は肥薩線開業当時の鉄道院総裁であった後藤新平から取られている。
 あかがね色が3両つながっているが、そのほとんどが指定席となっていて、僕は指定券を買っていなかったので硬いベンチシートに座ることになった。それはいいが、観光列車だけあって車内は喧騒に包まれていて落ち着かない。いい年をしてあちこちの車窓に張り付いては嬌声を上げるおばさんなどは最も苦手とする対象である。肝心の風景も、アテンダントが「あいにくの曇り空で…」などと言っている。
 昨日、鈍行の中で栗めしを食べながら車窓を独り占めした身からすると、観光列車に乗ってまで風景を見る必要がないので、尻の痛みに耐えながら居眠りして過ごす。


 途中の真幸、矢岳、大畑の各駅にご丁寧にも長時間停車して、人吉13時5分着。
 列車と並んで写真を撮る観光客たちの横を通り抜けて、人吉の街に出る。次の列車は14時38分発なので、1時間半ぐらいある。
 駅近くの観光物産館で昼食をとって、人吉を歩いてみる。日帰り温泉を見つけるが、やっているのかどうかわからないので入らずに済ます。
 もっと人吉の街を歩きたいが、空がぐずりはじめたので駅に戻って時間を潰す。駅近くに鉄道ミュージアムがあるのでそこを見学することにした。
 駅からミュージアムまでは簡易なレールが敷いてある。子ども向けの遊覧鉄道である。それを見た瞬間、僕は手のひらに嫌な汗をかいた。
 汗の原因は僕の本能にある。起点と終点があるレールには乗らねばならないと本能的に思ったが、その一方で、はたしてこれに三十代半ばのおじさんがひとりで乗ってよいものかとも逡巡する。
 幸い、今日は列車は運行しなかった。列車がなければ乗れないのでそれ以上考えなくてよい。何も見なかったことにできる。


 14時38分発の熊本行き快速は最近では珍しい客車列車である。そして、先頭には煙を吐く黒い塊がつながっている。蒸気機関車58654号である。
 さすがに景色が美しい肥薩線といえども、2日連続で同じ区間に乗るのは我ながら感心できないので、時刻表巻頭の臨時列車のページに快速「SL人吉」を見出した時には心躍りした。土日だけの運行かと思ったら、春休みシーズンだからか、4月は金曜や月曜にも運行しているという。
 出発までの間、窓を開けて煙の行方をぼんやり見ていたら、アテンダントのお姉さんに「服が汚れるので窓を閉めてくださいね」と言われる。こちらとしては、蒸気機関車が牽く列車に乗るのであれば、服の汚れのひとつやふたつは覚悟の上であるが、言われてしまった以上はその指示に従うしかない。蒸気機関車が牽く列車は、窓を開けないとその息吹を感じられないと思っているので、少し残念に思う。


 人吉から熊本までは下り坂なので、列車は軽快に走っていく。たまに汽笛が聞こえてトンネルに入ると、どす黒い煙が窓越しに列車にまとわりつきながら後ろへ流れて行くが、一生懸命に走っているような量の煙ではない。
 列車の先頭は展望室になっていて、そこからゆっさゆさと走る蒸気機関車のお尻を見ると、ああ、今僕は蒸気機関車に引っ張られているんだと思うものの、あまりにも淡々と走るので、蒸気機関車の鼓動を感じさせるものがあまりない。
 どちらかというと、蒸気機関車は乗るよりも見るものであり、もしどうしても乗るのであれば上り坂のある路線がよいと思う。
 昨日も降り立った坂本で小休止をするので機関車を見に行くと、ヘルメットをかぶった人が動輪の軸箱の温度を測っている。蒸気機関車には今の車両にはない苦労やら手間があるのだろうと思わせる。
 八代から熊本までものんびり走る。熊本に近づくにつれて沿線に家が増える。それに比例するようにこちらを見る人も増える。老若男女みんながこちらを見ている気がするし、線路際で仕事をしていた保線の人までがスマートフォンで写真を撮っている。小さい子がこちらに一生懸命に手を振っているので、思わず振り返す。そのうちに相手が中学生だろうがおばさんだろうがお兄さんだろうが、振られた手にはできるだけ振り返すようにしていた。人生で一番手を振った日かもしれない。

 熊本から博多まで新幹線で移動する。蒸気機関車から新幹線に乗り換えると、その対比のすさまじさに頭が混乱する。
 博多の駅ビルでデニムのパッチを買った。破けてきたジーンズの股部分の補修に使うためである。世の中にはダメージジーンズというものもあるが、最初から股間が破けているジーンズを売ってるのはさすがに見たことがない。股間へのダメージはデザインではなく単なる致命傷である。

 博多駅19時38分発の特急「きらめき16号」門司港行きに乗る。帰宅に好適な時間帯の列車だからか、4列席の窓側ほぼすべてに客が座っていて、その一部からは晩酌を始める気配もする。
 この列車は博多を出ると福間まで停まらないので、客の出入りもなく落ち着いて過ごすことができる。特にすることもないので、遠賀川駅の手前で30年近く前に廃止された室木線の橋梁跡を見ようと思ったが、真っ暗で何も見えない。
 赤間、遠賀川、折尾、戸畑と停まるたびに少しずつ客が降りていき、小倉で車内のほぼ全員が降りてしまった。僕は夜の門司港駅が見たいのでこのまま乗っていく。
 金曜夜の門司港はカップルが多く、ひとり旅の人間がいてはいけないような気がして、少しぶらぶらしただけで逃げるように小倉へと戻る。旅に出てから曜日感覚がマヒしていて、今日が金曜であることを失念していた。


 今日こそは店で酒を飲みたいと思ったが、今日はアイロンをかけなければならない。ホテルのフロントでアイロンを借り、破けたジーンズにデニムのパッチをあてがいながら、昨日と同じようにコンビニで買った缶ビールを飲んだ。
 しょせんは布だろうとタカをくくっていたら、山折りになった股部のせいか、いくら温めてもパッチはなかなか固着しなかった。こちらもだんだんむきになってきて、苦闘の末に何とかくっつけたものの、その出来栄えは今日の旅程と同じようにひどいものであった。

(この日の経路はこちら。)

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