2022年12月4日日曜日

旅する無職 5日目 小倉~日田~豊後森~大分~延岡~宮崎

 目が覚めると7時40分であった。7時ちょうどに起きるはずが、40分の寝坊である。旅も5日目に入るとさすがに疲れがたまってきて、ついつい宿の寝床で惰眠をむさぼるようになる。
 ホテルを予約するとき、朝食付きでお願いしていたが、食堂で過ごすべき40分をベッドの上で過ごしてしまったので、何も食べずに外に出る。

 小倉駅の改札の中には立ち食いうどん屋がある。
 ふわっと茹でられたうどんをさっとすすって朝食とする。高校生の頃、京都からの夜汽車に揺られ、生まれてはじめて降り立った博多駅のホームで福岡のうどんを食べた時、それまで関東のうどんしか知らなかった僕は、そのあまりのコシのなさに、それこそ腰を抜かしそうになった覚えがある。以来、何度か福岡のうどんを食べる機会があり、ようやくこれもありだなと思えるようになってきた。


 今日は日田彦山線から始めることにする。
 小倉9時11分発の日田行きは2両の白いディーゼルカーである。平尾台あたりにハイキングにでも出かけるのであろう、リュックに登山帽のいで立ちをした人が車内にちらほら見受けられる。
 小倉から10分ほどで城野(じょうの)に着く。ここまでは日豊本線で、日田彦山線はこの城野から久大本線の夜明までの68.7キロを結んでいるが、列車は線名の由来のひとつである日田駅まで直通している。
 日豊本線の線路をガタゴトと渡って列車は右に進路を取る。昨日乗った吉都線は17年ぶりであったが、この日田彦山線に乗るのも16年ぶりである。久しぶりに乗る路線に来ると、自然と窓外へ向ける視線にも気合が入る。

 城野から志井あたりまでは、住宅やマンションが線路の両側にたくさん建っていて見るべきものはない。しかし、志井を出ると車窓が急に里山になるので、その目まぐるしい車窓の変化に心の準備が追いつかない。
 そのまま列車は石原町に着く。駅構内を見回すと、キノコのような形をした小さな信号機がたくさん植わっているのが見えるが、それのどれもが列車にそっぽを向いて建っている。昔は貨物列車がせわしなく入替作業をしていたと思しき、錆びた線路の群れもある。
 2両編成を停めるにはあまりにも広い構内は、石灰石と石炭の輸送という日田彦山線が敷設された理由を僕に思い起こさせる。


 ハイキング客を降ろし、対向列車と行き違いをするため6分停まると、列車は思い出したように石原町を出発した。
 途中、採銅所という駅がある。珍しい名前なので、一度その名前を覚えると忘れることはない駅名である。地名はその土地の特徴を表す。名前の通り、この辺りは銅が採れたのであろうか。
 香春(かわら)駅の先で、僕の眼前に要塞のようなコンクリート造りのいかめしい建物が現れる。その威容は、インターネットで見たドイツの高射砲塔にも見える。
 これはセメント工場で、かつては工場の裏にそびえる香春岳を削って出てきた石灰を焼いてセメントにしていたという。今は閉業しているらしく、構内にそびえる巨大な煙突は、煙を吐くこともなく虚空に向かって沈黙している。
 列車から見ると、山の上にも工場が建っていて、その建屋からくの字に曲がった構造物が出ている。くの字の中にはベルトコンベアが入っていて、ふもとの工場に香春岳の一部だったものを輸送していたのであろう。


 田川伊田、田川後藤寺と停まるたびに少しずつ客が降りていく。代わりに乗ってくる人は少ない。
 添田を出ると、列車は山の中を走るようになる。幾重にも重なる棚田を見下ろしながら、竹や杉が植わった山の裾をはうように進んでいく。そのうちに長いトンネルを抜けると、列車は日田に向かって坂を下りはじめる。
 大鶴のホームの目の前には製材所があり、角材が整然と積んであるのが見える。この辺りは日田杉の産地である。


 夜明11時13分着。このまま乗っていても日田まで行けるが、僕はボックスシートから腰を上げてホームに降り立つ。
 夜明。いい名前の駅で、昔から一度降りてみたいと気になっていたが、なかなか訪ねる機会がなく、今日ようやくその願いをかなえることができた。
 乗ってきた列車をホームで見送り、跨線橋を渡る。無人駅であるが、駅舎はきれいに掃除されていて気持ちがよい。駅を出ると、目の前の国道越しに三隈川が見える。夜明ダムにせき止められているので水量がとても多い。国道沿いに建っている家は川岸すれすれに建てられているように見える。この三隈川はダムの先で筑後川と名を変えて有明海へと注ぐ。
 駅舎の写真を撮っていると、次の列車がやってくると案内放送が告げる。先ほど渡った跨線橋の上に急いで戻ると、赤い列車がカーブに身を傾けながらこちらに向かってくる。夜明11時20分発の日田行きで、ここから久大(きゅうだい)本線となる。



 夜明から10分ほどで日田に着く。
 日田の街に降り立つのは17年ぶりである。17年の間に駅舎はきれいになっていて、駅前広場には4月とは思えない強い日差しが降り注いでいる。
 その駅前広場に「H TA」というモニュメントがある。空白の部分に立って写真を撮れば「HITA」となる寸法であるが、ひとり旅ではどうやっても「H TA」の写真しか撮ることができない。それに僕はひねくれているので、もし同行者がいて写真を撮ってもらうとしてもYとかやってしまうと思う。
 ひとしきり駅前をぶらぶらしてから、駅近くのうどん屋で昼食とする。アルバイトの女の子は今日から勤務だという。彼女にうどんとそばのどちらがオススメかと聞くと、「どちらもおいしいです」とのこと。朝にうどんを食ったのでざるそばを頼む。


 駅に戻って12時35分発の大分行きに乗る。赤い車両が2両つながっていて、座席がほぼ埋まって出発する。進行方向左側の席に座る。
 列車は玖珠(くす)川の谷をさかのぼっていく。玖珠川はもともと三隈川の本流であったが、今では支流扱いされている。では本流はというと、豊後三芳駅の近くで玖珠川と合流する大山川で、長さは玖珠川が長いが、流域面積の関係でそうなったという。そんなことがあるのかと思うが、玖珠川はそんなことには頓着しないように、大きな丸っこい石がごろごろ転がった河原の間に緑色の流れを湛えている。
 この辺りは久大本線の中でも特に景色がいい区間なのだが、今日は日差しが異常に強く、車内は暑い。そのうちにのぼせて気持ち悪くなってくる。
 季節外れのためか空調が入っておらず、かといって新型の車両なので開けられる窓も少ない。近くのグループ客も、最初は窓外を眺めるのに忙しかったが、そのうちに日差しに辟易したと見えて、日よけを下ろして外を見るのをあきらめている。




 汗をかいて我慢しているうちに13時9分、豊後森に着いた。
 駅近くの豊後森機関庫跡を見学する。駅を背にして右にしばらく行き、久大本線の踏切を渡ると機関庫がある。機関車を格納するための扇形の建物が残っていて、そこから機関車の方向転換をするターンテーブルを隔てて黒い塊が鎮座している。
 黒い塊の正体は蒸気機関車29612号で、傍らの案内板によれば1919年生まれの97歳とのことである。これは重い貨物列車を引っ張るために作られたので、速度よりも馬力を重視した設計になっている。大きなボイラーに似つかわしくない小さな車輪がその証拠で、ギヤによる減速機構を持たない蒸気機関車でパワーを出すには、小さな車輪のほうが有利になる。
 扇形車庫は1934年の完成で、久大本線に蒸気機関車が走っていた1971年まで使われていたという。今は朽ちるに任せているようで、ところどころ窓ガラスが割れている。戦時中の機銃掃射の弾痕も残っているというので車庫の裏に回って見てみる。コンクリートの壁のところどころにすり鉢状の傷がある。
 こういう建物はえてしてきれいにリニューアルされてしまうものだが、これはリニューアルしてはいけない類の建物である。ありのままのほうが見る者にこの建物の歴史を思い起こさせる。もっとも、屋根もなく野ざらしになっている29612号が朽ち果ててしまわないかは気がかりであるが。


 豊後森駅に戻り、14時14分発の特急ゆふ3号を待つ。若い駅員さんが「今日の特急は4両で参ります」と案内している。ホームを見ると、なるほど乗降口の案内が3両分しかない。
 土曜の午後に湯布院や別府に向かう列車なので混むだろうと思い、僕は指定席を取っていたが、入ってきた列車の車内をホームから見ると、自由席は空いていた。とはいえ、せっかくの指定席なので、あてがわれた進行方向右側の席に腰を下ろすが、指定席車両は自由席の車以上に空いている。
 だが、どういうわけか、僕が座った右側の窓が一様に結露していて、外がほとんど見えない。それに結露はだいたい室内側に起きるものであるが、今日のは外側に起きているので露をぬぐうこともできない。この過剰なまでに暖かい陽気のせいであろうか。
 由布院に着く。駅舎を見ると、たくさんの客が改札を出ていく。外国の人が多いように見える。
 街は湯布院だが、駅は由布院と名乗っている。黒い駅舎は17年前にも見た覚えがある。その時は客車鈍行で久大本線を辿っていたが、機関車がオーバーヒートを起こしたとかで、しばらくこの由布院に停まったことを思い出す。
 線路は湯布院の街に対してコの字型に敷設されているので、街の東側にそびえる由布岳の位置が僕の乗っている列車から見て正面→左→後ろと変化していく。
 それを眺めると、僕は居眠りを始めた。気がつくとゆふ3号は南大分を通過している。大分の2つ手前の駅である。それから間もなくして列車は15時30分、大分に着いた。

 今日は宮崎まで行くことにしている。
 別府に向かうゆふ3号を見送り、ホームで16時5分発のにちりん19号を待つ。
 にちりんは日輪から取られている。簡単に言えば太陽のことであるが、いい列車名だと思う。南国・宮崎のイメージにぴったりで、僕が好きな列車名のひとつである。美しいとまで思う。
 大分から博多までの特急はソニックと名乗っているが、ひるがえってこれには全く賛意を覚えない。列車の走っているところや向かう場所のイメージが想起できない名前は、列車名として失格だと思う。僕はそういう性分だから、ソニックなど名乗られてもという気持ちになる。


 にちりんは幸崎(こうざき)の先で佐賀関半島の付け根を横断すると、豊後水道に沿って走る。とはいえ、海にべったりというわけでもなく、リアス海岸の合間からたまに海を望ませるだけであるが、かえってそれが旅情をもたらす。
 臼杵、津久見と、聞いたことはあるが降りたことがない駅に停まっていく。それぞれ一度降りてみたいが、無職なのだからまた来ればよいと思う。
 それに、この辺りは鈍行しか止まらない駅でも旅情を誘う駅名がたくさんある。日代(ひしろ)、浅海井(あざむい)、海崎(かいざき)…。再訪を期しながら、僕は佐伯(さいき)のホームに降り立った。


 日豊本線は九州の東側を通り、西小倉から鹿児島中央までの465kmを結ぶ幹線で、小倉から大分や宮崎の間は特急が1時間に1本は走っている。宮崎から鹿児島の間でも、1時間から2時間間隔で特急がある。
 鈍行も大分、宮崎、鹿児島の各都市圏を中心にたくさん走っているが、僕がこれから乗る佐伯から延岡の間は、1日に3本しか鈍行が走っていない。
 今、僕の目の前には、その貴重な3本のうちの1本、佐伯17時15分発の南延岡行きが停まっている。さっき久大本線で乗ったのと同じ赤い車両だが、車内は長椅子であった。既に先客として男子高校生と女性、それに何人かの旅装の人が乗っている。
 僕がなぜ宮崎まで行く特急を捨てて、この貴重な鈍行に乗り換えたかというと、途中の宗太郎という駅に行ってみたかったからである。最近は秘境駅などと呼ぶらしいが、要は列車が少なすぎて訪問が困難な駅のひとつとして、この宗太郎駅がよく取り上げられるので、この機会にこの目で見ておくことにしたのである。



 佐伯から二つ目の直見で男子高校生と女性が降りてしまい、車内から普段使いの客がいなくなる。赤いディーゼルカーは杉が植わった緑豊かな山の中をガタゴトと走っていく。車窓から国道10号線が見えるが、車が1台も走っていない。
 17時43分、日が暮れかかったところで列車は宗太郎に到着する。駅の近くに若干の民家があるが、人の気配はない。駅の裏は山がそびえている。なぜこんなところに駅があるのか不思議になるが、その答えはこの鈍行がここで10分も停まるところにある。ホームで写真を撮るなどしていると、宮崎方面からの特急にちりんがゆっくりと峠を上ってきて、我が鈍行の横を通り過ぎていった。
 この辺りの日豊本線は単線で、列車は駅や信号場でしか行き違いが出来ない。要はここは駅としての機能よりも、列車の行き違いを行う機能のほうに重きが置かれ、それゆえに残されているのである。
 JR九州の発表によれば、2013年度の宗太郎駅の利用者は1日平均0.71人、年間259人とのことである。


 延岡18時41分着。列車はひとつ先の南延岡まで行くが、どちらで降りても次の宮崎までの特急は同じ列車になるので、僕は飲み屋が多そうな延岡で降りることにした。
 飲み屋街をぶらぶらして店を吟味し、ここだと思った店の戸を開けたが、「あいにく今日は貸し切りでして」と断られる。今日は土曜で、歓送迎会の季節でもある。
 もう1軒目星をつけたが、店の前に行くとカラオケが聞こえてきて幻滅する。カラオケのある飲み屋は、過剰に常連や内輪で盛り上がる傾向があるので避けている。それに、カラオケの歌声やそれに伴う歓声、合いの手は、店の人や他の客との会話を邪魔する。スナックやキャバレーならまだしも、居酒屋で知らない人の歌など聞いて酒を飲みたくはない。


 延岡での酒はあきらめることにして、19時15分発のにちりん21号で宮崎まで行くことにした。
 駅に戻ると、ちょうど貨物列車の入れ替えをしていて、オレンジ色の小さな機関車がエンジンを唸らせて長いコンテナ貨車を一生懸命にひいたり押したりしている。そのおもちゃのような車体のどこにそんな力があるのかと、思わず目を見張る働きぶりである。
 オレンジ色が頑張って行ったり来たりした結果、コンテナ貨車の列は僕が立っているホームに横付けされた。目の前に来た白いコンテナをふと見ると、「札幌」と書かれた紙が貼ってある。これから札幌に行くのか、あるいは札幌から来たのかわからないが、とにかく長い旅路であることは間違いない。
 そうしているうちに貨車の反対側の乗り場ににちりんがやってくる。
 自由席に座って外を見るが、車窓は真っ暗で街灯以外に何も見えない。たまに鉄橋を渡る轟音が聞こえるが、あとは淡々とガタンゴトンと走っていくだけである。この辺りも昼間に通る機会が少ないなと思っているうちに、20時15分、宮崎駅に着いた。




 今日のホテルは宮崎駅前である。ホテルにリュックを置いて、いよいよ飲みに繰り出す。宮崎の駅前通りを10分ほど歩いて、飲み屋が集まる橘通に行く。
 さまよっているうちに大衆酒場を見つけたので入る。
 「たかさご」というその店は、適度なガヤ感があって下手な東京の飲み屋より多幸感がある店であった。常連さんを見ていると、焼酎ではなく日本酒を飲む人が多くて、宮崎イコール焼酎という先入観をひっくり返される。
 瓶ビール1本、熱燗2合、マグロのぶつ、地鶏のたたき、おでん、秋刀魚と脈略なく飲み食いして店を出ると、予期せずして雨が降っている。
 今回の旅も明日で終わりなので、最後の夜ぐらいは、とハシゴ酒を考えていたが、そんな僕のよこしまな考えに水を差す雨であった。

(この日の経路はこちら。)

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