サイコロアプリというものがある。
何かに迷ったときに、乱数によってその何かを決することができるアプリである。何かというのは、手段であったり、目的であったり、結果であったりする。
僕が旅をする動機には、手段と目的と結果が入り混じっている。
鉄道という手段を使って、どこどこの街に行くとか、なになに線に乗るという目的を達成し、そしてその街にやってきたことや路線を乗り終えたという結果を得るために、僕は旅をしてきた。そんな僕がサイコロを振れば、おのずと手段と目的と結果が入り混じった目が出るのであった。
2015年6月13日土曜日。
この日は北のどこかに行こうと思い立ったが、具体的にどこに行きたいというのが思い浮かばなかった。そこで、懐のスマートフォンに入れてあるサイコロアプリに、僕の行き先を任せてみた。賽の目の1からそれぞれに札幌、青森、秋田、盛岡、山形、仙台と入れて賽を振る。
サイコロは1を示した。札幌である。
思いつきで行くような場所ではないが、サイコロが指し示す以上、目的地には万難を排してでも行かねばならない。せっかく札幌まで行くからには、何かしらの結果を得たいとも思う。
自ら投げた賽を札幌まで拾いにいく、1泊2日の弾丸行が始まった。
サイコロに従い、札幌へ向かうことにするとなれば、まずは手段を決めねばならない。僕の旅の手段には第一に鉄道が挙がってくるが、新幹線と特急でまっすぐ行ってしまっては面白くない。何か手段を考えようと思った矢先に、僕の脳裏を「はまなす」という単語が横切った。
「はまなす」とは、青森と札幌を結ぶ夜行急行列車の名前である。これは、JRが発足したあとにできた比較的新しい列車にもかかわらず、それよりはるか昔から走っているような、古き良き夜汽車の貫禄がある不思議な列車である。
特急全盛の今、「はまなす」はJR最後の定期急行列車になるだろうとも言われている。昔は当たり前の存在だった、寝台車と座席車が混結されている夜行列車も、もうこの「はまなす」しかない。このような古めかしい風体が、この列車の妙な貫禄を生み出しているようにも思う。
かように「はまなす」は、新しくともレトロな雰囲気を漂わせる、まことに素敵な列車なのだが、来たる2016年3月の北海道新幹線開通を控え、廃止が決まっている。
「はまなす」に乗りたい。
僕はそう思ったが、「はまなす」はもうすぐ消えることが決まっているので、週末は名残を惜しむ人々が殺到し、寝台券が取れない人気の列車と化していると聞く。それでも無理を承知で、大宮駅のみどりの窓口で恐る恐る今宵の「はまなす」の空き具合を聞いてみる。リクエストはB寝台の下段だ。
僕のリクエストを聞いた駅員がマルス端末に向き直り、僕は彼がそれを叩く音を、固唾を飲んで聞く。希望の列車との逢瀬が叶うか否か、いつ、そして何度経験しても緊張する瞬間だ。
「あー、いっぱいですねえ…」という言葉に、やっぱりかと僕は観念しかけたが、その矢先に「あ、ひとつ空いてますね」との言葉が続いたのには内心、吃驚を禁じえなかった。まさか当日のこのタイミングで「はまなす」の寝台券を入手できるとは…。はやる気持ちを抑えて、僕は東北新幹線で北へ向かった。
途中、仙台で下車し、未乗の仙石東北ラインなどに寄り道しつつ、新青森で在来線に乗り換えて青森駅に着いたのは22時前だった。列車を降りると、6月なのに空気がひんやりしていて、北へ来たことを実感する。
青森駅の跨線橋から下を覗くと、「はまなす」はすでにホームに横付けされていて、青い車体にホームの灯りがぼんやりと反射している。22時18分の発車まで時間があるので、前方から列車を一通り観察してみる。
列車は機関車を入れて11両編成。思ったよりも長い。露払いは「はまなす」と書かれた丸い円盤を掲げた赤い電気機関車、それに続いて寝台車が3両つながっている。1号車と2号車の間に「増21号車」という妙ちくりんな表示の車両があるが、これは臨時の増結車両らしい。素直に3号車にすればいいのにと思うが、それでは寝台券や指定券の管理だとか、後ろの車両の号車表示を変える手間などがあって、いろいろと差し支えがあるのだろう。
残りは座席車になっている。そのうち1両は座席がなくカーペット敷きになっていて、敷布団こそないものの、寝そべって一夜を過ごせるように工夫されている。船の雑魚寝席のようだが、「はまなす」の場合は、各々きちんと指定された箇所で寝るようになっている。寝っ転がれるのに指定席扱いで安価なため、「はまなす」の中でも真っ先に売り切れる席だという。
無論、普通の座席車もついている。椅子の夜行列車はまともに寝られた試しがないので、貧乏だった学生時代はまだしも、社会人になってからはなるべく敬遠していたが、今となっては敬遠しようにもできる列車がなくなってしまった。チャンスはいくらでもあった。若い頃にもっと乗っておけばよかったと、座席車を横目にふと思う。
あてがわれた寝台は、例の増21号車にあった。見慣れた4人相部屋のB寝台だ。すでに反対側の下段に先客が1名いたので、軽く会釈をしてから部屋に入る。
自分のベッドに鞄を投げ込み、そのあと上半身から自分の区画に身体を突っ込む。シーツと枕を整え、敷布団と壁のすき間に落とさないよう、ポケットの貴重品をすべて枕の上に一度並べる。ついで鞄を窓側に押しやり、上着をハンガーに引っ掛けて身軽になってから、さっと掛け布団を整える。鞄を窓側に押し込むのは、盗難防止のために通路から荷物を遠ざけるためである。昔の夜汽車はスリが多いと聞いていたが、今はどうなのだろうか。
それから靴を脱いで備え付けのスリッパに履き替え、最後に落下防止用の鉄柵と靴をベッドの下に格納する。我ながら手慣れたものだと思う。だが、昔から夜汽車に乗るたびに何度も繰り返し、僕の身体に染み付いたこの動作も、この列車で最後になるだろう。
ベッドにあぐらをかいて、スキットルに仕込んできた酒を呑んでいると、東京でよく聞く発車メロディが鳴って、定刻通り列車はゆっくりと動き出した。夜汽車に発車メロディは似合わないなと、思わず心の中で苦笑する。
ベッドの上にいても退屈なので、通路の腰掛けを引っ張り出して酒を呑む。当たり前だが、風景は闇が続く。だが、それでいい。淡々と繰り返されるレールの継ぎ目の音と、たまに鳴る汽笛だけで酒が呑めてしまう。足を暖房のカバーに乗せ、窓枠に頬杖をついてぼんやりと外を眺めながら酒をゆっくりと呑む。僕にとって、旅の悦びを噛みしめる至福の一瞬だ。
それにしても、鉄道ファンが多い。もう、移動の手段としてこの列車に乗っている人はいないのではないかと思うぐらいに鉄道ファンが多い。まあ、自分もそのひとりであるが。
カメラを持って狭い通路を右往左往する人、窓辺に座って僕のように静かに酒を呑んでいる人、ベッドのカーテンをぴしっと閉めて自分の世界に没入している人もあって、夜汽車の楽しみ方は人それぞれのようである。鉄道ファンが多いと、どうしてもぎすぎすしがちだが、この列車には、この貴重な時間を共有している一体感というか、互いに干渉せずともこの空気と時間を共有しようという、不思議な意思が感じられた気がした。
消灯時間になったので、自分のベッドに戻り、カーテンを閉め切って、今度は通路と反対側の窓から外を見る。車内灯が消えたので、外がよく見える。枕灯も消して外を見るのが僕は好きだ。うまくすれば、陸奥湾の海が見えやしないかと思ったが、さすがにそれは無理であった。よく考えたら海は逆側だ。
23時頃、トンネルの中で上りカシオペアと離合。あちらも北海道新幹線の開業と入れ違いで消える運命の列車だ。その離合の瞬間、こちらの機関車が汽笛をピッと吹いた。向こうの機関車も同じように汽笛を返す。夜汽車には、ほかの夜汽車とすれ違う際に汽笛を軽く鳴らす習わしがある。この汽笛には「お互いに長い道中だ、無事を祈る」といった意味があるのだろうと僕は勝手に思っている。目的地を目指し、闇をひた走る夜汽車同士が、一瞬の邂逅のうちに互いを慮るという美しい情景に、思わず僕の胸は熱くなった。
せっかくなので、青函トンネルを抜けるまでは起きていることにする。何度も同じようなことを言うが、この列車で青函トンネルを抜けられるのは、今回が最初で最後なのだ。先ほどの汽笛の離合からまもなくして、機関車は再びピーっと長めの汽笛を鳴らす。青函トンネルへの進入の合図だ。
青函トンネルの全長は53.9km。鉄道トンネルとしては世界一の長さであるが、まもなくヨーロッパのアルプスを貫くゴッタルドベーストンネルにその座を奪われるという。「鉄道の海底トンネル」としては引き続き世界一の座を占するかといえば、これも英仏海峡トンネルにすでに奪取されている。いろいろと副詞をつければ、これだけ長いトンネルであるのだから、何かしらの世界一に引っかかりそうなものであるが、我が青函トンネルは、残念ながら無冠に転落するのである。
そういえば子供の頃、家族旅行で北海道に初めて来て、函館から「エルム」という上りの寝台車に乗ったときも、こうして青函トンネルまで起きていたことを思い出す。小学校2年の少年にはきつい夜更かしであったが、青函トンネルに入った時の「今、僕は海の底を列車で走っているんだ」という実感はいまだに覚えている。トンネルに入ってしばらくして、はたと寝てしまったことも覚えている。あれから24年。時間の流れは早いが、僕は相変わらず列車で旅をしているし、あの時と同じトンネルで、同じようなことをして、同じようにわくわくしている自分がいる。
青函トンネルは、線路の構造が地上とそれとは違うのと、とても長いトンネルなので、列車の音がよく反響する。シャーともゴーともつかぬ車輪の轟音が延々と続き、当然車窓も壁面の蛍光灯が延々流れるだけで面白くない。普通の人なら楽しい時間、空間とは言いがたいだろう。だが、僕にとっては、そんな思い出があるので、何度通ってもわくわくするトンネルなのである。
竜飛海底、吉岡海底というふたつの海底駅、とはいっても今は非常口であるが、これを横目に列車は40分ほどかけて北海道に至る。北海道に入った途端、列車の乗り心地が悪くなったが、僕は青函トンネルを抜けた満足感、その揺れの心地よさに、あっという間に眠りこけてしまった。
目が覚めると、列車は足を止めている。時計を見ると3時過ぎ。カーテンを少し開けてみると、ちょうど長万部の駅だった。人影はない。列車は静かに動き出し、僕も再び床に就く。
次に目を覚ますと、すでに夜は明けていて、外を見ると列車はうっそうとした森の中を走っていて、あたりには濃い霧がかかっている。どこにいるか判別しがたく思っていると、そこにちょうど車掌の車内放送が入る。いわく今日は6月14日、時間は5時10分。列車は定刻通り走っていて、次は南千歳だと告げる。どうやら東室蘭と苫小牧は気づかずに寝ていたらしい。札幌到着が6時7分だから、到着までもう50分しかない。さっさと洗面所で歯を磨き、顔を洗う。ついでに便所に寄って、あとは寝台でぼんやり過ごすことにする。
それにしても、夜汽車で迎える朝は、何とも言いがたい気持ちになる。遠く旅に出てきた実感と悦び、それに一夜を過ごした列車への名残惜しさが入り混じって、降りたくもあり、降りたくもなしというどっちつかずの気持ちになる。だが、僕が「はまなす」で過ごせるのは、もうこの50分しかない。そう思うと、降りたくない気持ちの方が勝ってくるが、列車は千歳、新札幌と過ぎ、終着の札幌駅へと着々と近づいている。後ろ髪を引かれるが、ずっと「はまなす」に乗っているわけにもいかない。荷物をまとめ、降りる準備をする。
ここで僕は、そもそも何で自分が札幌に来たのかをすっかり忘れていた。あまりにも充実した夜汽車での一夜を過ごしたために、今回の旅の理由など、どうでもよくなっていた。旅に限らず、物事には理由と手段と目的と結果がある。目的地は札幌であるが、これはただサイコロに導かれただけであった。誰に会うためでもなく、どこへ行くでもない。サイコロを振るという行為の元に導き出された目的地だ。ただ、札幌に行くからには、近々なくなる「はまなす」という列車に手段と目的と結果のすべてを求めてみようと思い、それを得られた旅であったとも思う。
しかしながら、自らが投げた賽を拾ってしまうと、どうにも物足りなくなる。
駅のホームで「札幌」の文字を目にした僕はそれだけで満足し、これだけ充実した夜汽車の旅をしたにもかかわらず、早くも次の「目的」を見定めて、札沼線のホームへと向かったのだった。
何かに迷ったときに、乱数によってその何かを決することができるアプリである。何かというのは、手段であったり、目的であったり、結果であったりする。
僕が旅をする動機には、手段と目的と結果が入り混じっている。
鉄道という手段を使って、どこどこの街に行くとか、なになに線に乗るという目的を達成し、そしてその街にやってきたことや路線を乗り終えたという結果を得るために、僕は旅をしてきた。そんな僕がサイコロを振れば、おのずと手段と目的と結果が入り混じった目が出るのであった。
2015年6月13日土曜日。
この日は北のどこかに行こうと思い立ったが、具体的にどこに行きたいというのが思い浮かばなかった。そこで、懐のスマートフォンに入れてあるサイコロアプリに、僕の行き先を任せてみた。賽の目の1からそれぞれに札幌、青森、秋田、盛岡、山形、仙台と入れて賽を振る。
サイコロは1を示した。札幌である。
思いつきで行くような場所ではないが、サイコロが指し示す以上、目的地には万難を排してでも行かねばならない。せっかく札幌まで行くからには、何かしらの結果を得たいとも思う。
自ら投げた賽を札幌まで拾いにいく、1泊2日の弾丸行が始まった。
サイコロに従い、札幌へ向かうことにするとなれば、まずは手段を決めねばならない。僕の旅の手段には第一に鉄道が挙がってくるが、新幹線と特急でまっすぐ行ってしまっては面白くない。何か手段を考えようと思った矢先に、僕の脳裏を「はまなす」という単語が横切った。
「はまなす」とは、青森と札幌を結ぶ夜行急行列車の名前である。これは、JRが発足したあとにできた比較的新しい列車にもかかわらず、それよりはるか昔から走っているような、古き良き夜汽車の貫禄がある不思議な列車である。
特急全盛の今、「はまなす」はJR最後の定期急行列車になるだろうとも言われている。昔は当たり前の存在だった、寝台車と座席車が混結されている夜行列車も、もうこの「はまなす」しかない。このような古めかしい風体が、この列車の妙な貫禄を生み出しているようにも思う。
かように「はまなす」は、新しくともレトロな雰囲気を漂わせる、まことに素敵な列車なのだが、来たる2016年3月の北海道新幹線開通を控え、廃止が決まっている。
「はまなす」に乗りたい。
僕はそう思ったが、「はまなす」はもうすぐ消えることが決まっているので、週末は名残を惜しむ人々が殺到し、寝台券が取れない人気の列車と化していると聞く。それでも無理を承知で、大宮駅のみどりの窓口で恐る恐る今宵の「はまなす」の空き具合を聞いてみる。リクエストはB寝台の下段だ。
僕のリクエストを聞いた駅員がマルス端末に向き直り、僕は彼がそれを叩く音を、固唾を飲んで聞く。希望の列車との逢瀬が叶うか否か、いつ、そして何度経験しても緊張する瞬間だ。
「あー、いっぱいですねえ…」という言葉に、やっぱりかと僕は観念しかけたが、その矢先に「あ、ひとつ空いてますね」との言葉が続いたのには内心、吃驚を禁じえなかった。まさか当日のこのタイミングで「はまなす」の寝台券を入手できるとは…。はやる気持ちを抑えて、僕は東北新幹線で北へ向かった。
途中、仙台で下車し、未乗の仙石東北ラインなどに寄り道しつつ、新青森で在来線に乗り換えて青森駅に着いたのは22時前だった。列車を降りると、6月なのに空気がひんやりしていて、北へ来たことを実感する。
青森駅の跨線橋から下を覗くと、「はまなす」はすでにホームに横付けされていて、青い車体にホームの灯りがぼんやりと反射している。22時18分の発車まで時間があるので、前方から列車を一通り観察してみる。
残りは座席車になっている。そのうち1両は座席がなくカーペット敷きになっていて、敷布団こそないものの、寝そべって一夜を過ごせるように工夫されている。船の雑魚寝席のようだが、「はまなす」の場合は、各々きちんと指定された箇所で寝るようになっている。寝っ転がれるのに指定席扱いで安価なため、「はまなす」の中でも真っ先に売り切れる席だという。
無論、普通の座席車もついている。椅子の夜行列車はまともに寝られた試しがないので、貧乏だった学生時代はまだしも、社会人になってからはなるべく敬遠していたが、今となっては敬遠しようにもできる列車がなくなってしまった。チャンスはいくらでもあった。若い頃にもっと乗っておけばよかったと、座席車を横目にふと思う。
あてがわれた寝台は、例の増21号車にあった。見慣れた4人相部屋のB寝台だ。すでに反対側の下段に先客が1名いたので、軽く会釈をしてから部屋に入る。
自分のベッドに鞄を投げ込み、そのあと上半身から自分の区画に身体を突っ込む。シーツと枕を整え、敷布団と壁のすき間に落とさないよう、ポケットの貴重品をすべて枕の上に一度並べる。ついで鞄を窓側に押しやり、上着をハンガーに引っ掛けて身軽になってから、さっと掛け布団を整える。鞄を窓側に押し込むのは、盗難防止のために通路から荷物を遠ざけるためである。昔の夜汽車はスリが多いと聞いていたが、今はどうなのだろうか。
それから靴を脱いで備え付けのスリッパに履き替え、最後に落下防止用の鉄柵と靴をベッドの下に格納する。我ながら手慣れたものだと思う。だが、昔から夜汽車に乗るたびに何度も繰り返し、僕の身体に染み付いたこの動作も、この列車で最後になるだろう。
ベッドにあぐらをかいて、スキットルに仕込んできた酒を呑んでいると、東京でよく聞く発車メロディが鳴って、定刻通り列車はゆっくりと動き出した。夜汽車に発車メロディは似合わないなと、思わず心の中で苦笑する。
ベッドの上にいても退屈なので、通路の腰掛けを引っ張り出して酒を呑む。当たり前だが、風景は闇が続く。だが、それでいい。淡々と繰り返されるレールの継ぎ目の音と、たまに鳴る汽笛だけで酒が呑めてしまう。足を暖房のカバーに乗せ、窓枠に頬杖をついてぼんやりと外を眺めながら酒をゆっくりと呑む。僕にとって、旅の悦びを噛みしめる至福の一瞬だ。
それにしても、鉄道ファンが多い。もう、移動の手段としてこの列車に乗っている人はいないのではないかと思うぐらいに鉄道ファンが多い。まあ、自分もそのひとりであるが。
カメラを持って狭い通路を右往左往する人、窓辺に座って僕のように静かに酒を呑んでいる人、ベッドのカーテンをぴしっと閉めて自分の世界に没入している人もあって、夜汽車の楽しみ方は人それぞれのようである。鉄道ファンが多いと、どうしてもぎすぎすしがちだが、この列車には、この貴重な時間を共有している一体感というか、互いに干渉せずともこの空気と時間を共有しようという、不思議な意思が感じられた気がした。
消灯時間になったので、自分のベッドに戻り、カーテンを閉め切って、今度は通路と反対側の窓から外を見る。車内灯が消えたので、外がよく見える。枕灯も消して外を見るのが僕は好きだ。うまくすれば、陸奥湾の海が見えやしないかと思ったが、さすがにそれは無理であった。よく考えたら海は逆側だ。
23時頃、トンネルの中で上りカシオペアと離合。あちらも北海道新幹線の開業と入れ違いで消える運命の列車だ。その離合の瞬間、こちらの機関車が汽笛をピッと吹いた。向こうの機関車も同じように汽笛を返す。夜汽車には、ほかの夜汽車とすれ違う際に汽笛を軽く鳴らす習わしがある。この汽笛には「お互いに長い道中だ、無事を祈る」といった意味があるのだろうと僕は勝手に思っている。目的地を目指し、闇をひた走る夜汽車同士が、一瞬の邂逅のうちに互いを慮るという美しい情景に、思わず僕の胸は熱くなった。
せっかくなので、青函トンネルを抜けるまでは起きていることにする。何度も同じようなことを言うが、この列車で青函トンネルを抜けられるのは、今回が最初で最後なのだ。先ほどの汽笛の離合からまもなくして、機関車は再びピーっと長めの汽笛を鳴らす。青函トンネルへの進入の合図だ。
青函トンネルの全長は53.9km。鉄道トンネルとしては世界一の長さであるが、まもなくヨーロッパのアルプスを貫くゴッタルドベーストンネルにその座を奪われるという。「鉄道の海底トンネル」としては引き続き世界一の座を占するかといえば、これも英仏海峡トンネルにすでに奪取されている。いろいろと副詞をつければ、これだけ長いトンネルであるのだから、何かしらの世界一に引っかかりそうなものであるが、我が青函トンネルは、残念ながら無冠に転落するのである。
そういえば子供の頃、家族旅行で北海道に初めて来て、函館から「エルム」という上りの寝台車に乗ったときも、こうして青函トンネルまで起きていたことを思い出す。小学校2年の少年にはきつい夜更かしであったが、青函トンネルに入った時の「今、僕は海の底を列車で走っているんだ」という実感はいまだに覚えている。トンネルに入ってしばらくして、はたと寝てしまったことも覚えている。あれから24年。時間の流れは早いが、僕は相変わらず列車で旅をしているし、あの時と同じトンネルで、同じようなことをして、同じようにわくわくしている自分がいる。
青函トンネルは、線路の構造が地上とそれとは違うのと、とても長いトンネルなので、列車の音がよく反響する。シャーともゴーともつかぬ車輪の轟音が延々と続き、当然車窓も壁面の蛍光灯が延々流れるだけで面白くない。普通の人なら楽しい時間、空間とは言いがたいだろう。だが、僕にとっては、そんな思い出があるので、何度通ってもわくわくするトンネルなのである。
竜飛海底、吉岡海底というふたつの海底駅、とはいっても今は非常口であるが、これを横目に列車は40分ほどかけて北海道に至る。北海道に入った途端、列車の乗り心地が悪くなったが、僕は青函トンネルを抜けた満足感、その揺れの心地よさに、あっという間に眠りこけてしまった。
目が覚めると、列車は足を止めている。時計を見ると3時過ぎ。カーテンを少し開けてみると、ちょうど長万部の駅だった。人影はない。列車は静かに動き出し、僕も再び床に就く。
次に目を覚ますと、すでに夜は明けていて、外を見ると列車はうっそうとした森の中を走っていて、あたりには濃い霧がかかっている。どこにいるか判別しがたく思っていると、そこにちょうど車掌の車内放送が入る。いわく今日は6月14日、時間は5時10分。列車は定刻通り走っていて、次は南千歳だと告げる。どうやら東室蘭と苫小牧は気づかずに寝ていたらしい。札幌到着が6時7分だから、到着までもう50分しかない。さっさと洗面所で歯を磨き、顔を洗う。ついでに便所に寄って、あとは寝台でぼんやり過ごすことにする。
それにしても、夜汽車で迎える朝は、何とも言いがたい気持ちになる。遠く旅に出てきた実感と悦び、それに一夜を過ごした列車への名残惜しさが入り混じって、降りたくもあり、降りたくもなしというどっちつかずの気持ちになる。だが、僕が「はまなす」で過ごせるのは、もうこの50分しかない。そう思うと、降りたくない気持ちの方が勝ってくるが、列車は千歳、新札幌と過ぎ、終着の札幌駅へと着々と近づいている。後ろ髪を引かれるが、ずっと「はまなす」に乗っているわけにもいかない。荷物をまとめ、降りる準備をする。
ここで僕は、そもそも何で自分が札幌に来たのかをすっかり忘れていた。あまりにも充実した夜汽車での一夜を過ごしたために、今回の旅の理由など、どうでもよくなっていた。旅に限らず、物事には理由と手段と目的と結果がある。目的地は札幌であるが、これはただサイコロに導かれただけであった。誰に会うためでもなく、どこへ行くでもない。サイコロを振るという行為の元に導き出された目的地だ。ただ、札幌に行くからには、近々なくなる「はまなす」という列車に手段と目的と結果のすべてを求めてみようと思い、それを得られた旅であったとも思う。
しかしながら、自らが投げた賽を拾ってしまうと、どうにも物足りなくなる。
駅のホームで「札幌」の文字を目にした僕はそれだけで満足し、これだけ充実した夜汽車の旅をしたにもかかわらず、早くも次の「目的」を見定めて、札沼線のホームへと向かったのだった。
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