2019年10月14日月曜日

計画的な無計画の旅(2019年8月 長岡~新潟~会津若松~下今市~西新井)

 2019年8月14日、水曜日。
 目覚ましをかけていなかったが、自然と目が覚める。ベッドの上で一瞬、自分が長岡にいることを忘れて、今どこにいるのかと少し考える。不思議な話だが、旅先ではたまに自分がどこに泊っているのか、本当に一瞬だけわからなくなることがある。

 時計を見ると時刻は朝7時。神経が昂り、眠りが浅くなるはずの旅先にしては、少し眠りすぎたなと思う。
 盆休みはまだ続くが、今日は東京に帰ろうと思う。
 昨日から引き続いての行き当たりばったりの旅であり、「無計画」が今回の旅の「計画
」である。どうやって帰るかは駅で考えることにした。身支度を整え、8時過ぎに長岡駅へ行く。


 きっぷ売り場の空席案内を見上げると、上りの上越新幹線は既に満席が多い。上越線の水上行き鈍行は6時半過ぎに出発していて、次は10時半までない。8時28分に直江津経由新井行きの特急があるが、直江津はこの前の旅で通ったばかりなので、どうも気乗りしない。
 僕はのんびりと磐越西線を回って帰ることにした。
 発車案内を見ると、もうすぐ新潟行きの特急がやってくるとある。券売機で長岡から新潟までの自由席特急券を買い求める。
 ホームに降りると、小さな男の子が古い電車を熱心に見ている。この子が大きくなる頃には、この古い電車はお役御免になっているだろう。大きくなっても、電車に興味がなくなっても、その目で直に古い電車を見たことを忘れないでほしいと願う。


 8時35分発のしらゆき1号が4両でやってくる。
 盆休みに4両とはどういう了見だ、などと思ったもののこれは杞憂で、指定席はもとより自由席車もガラガラである。空いている席に適当に腰かけてぼーっとしているうちに、高架化工事たけなわの新潟駅に着いた。
 新潟駅では立ち食いそばをと思ったが、高架化工事のせいで構内の立ち食いそばがなくなっている。
 次の列車まで時間があるので改札を出て、駅前からバスで5分ぐらいの万代シティバスターミナルに向かう。ここの立ち食いそばのカレーライスがうまいと聞いたことがあったので来てみたが、店には10時前というのに長蛇の列ができている。うまいと言われても、カレーライスに並ぶ気にはなれない。僕にとってカレーとは、よく噛んで飲む栄養ドリンクである。並んでまで食す代物ではない。
 代わりにバスの車窓から「ガンダムワールド2019 in 新潟」というポスターを見かけたので行ってみようと思うが、こちらはいまいち場所がわからない。万代BPとあるが、このBPが何なのかわからない。バスターミナルからの道順案内も出ていない。何もわからないうちに新潟駅に戻る時間になってしまった。



 新潟10時28分発の新津行きで新津10時49分着。ここで磐越西線に乗り換える。
 暑いホームで待っていると、車庫から2両の古いディーゼルカーがのそのそと出てきた。これが新津11時34分発の磐越西線会津若松行きとなる。座席がほぼ埋まって出発。
 4年ぶりの磐越西線で楽しみであるが、思い返すとこれまで磐越西線には夏か冬にしか乗ったことがない。これまで5回乗って3回は夏、残り2回は冬であった。今度は春か秋に乗りたいと思う。
 隣りのボックスシートはお父さんと中学生ぐらいの息子さんの親子らしきコンビで、「次は馬下、ここから風景がきれいになる」とか「これが阿賀野川」などと、しきりにお父さんが息子さんに車窓のあれこれを教授している。
 そういえば、昔の僕と父の旅もそうだった。父は僕が鉄道好きに育ったことを知って、休みによく旅に連れ出してくれた。北は北海道から、西は島根まで行った。その津々浦々の車窓を見ては、山や川の名前などをいろいろ教えてくれた。小学4年の冬、僕が初めてこの磐越西線に乗った時、父が「この山の向こう側には只見線が走っている」と教えてくれたことを思い出す。
 何だか懐かしい気持ちになって、その親子に「親子旅ですか」などと話しかけてみようかとも思うが、そのあまりの仲睦まじさにためらいを覚えて、結局、僕は最後まで何も言わなかった。


 五泉の先で早出川という川を渡る。眼下の河原ではテントやバーベキューや水浴びが展開されていて、列車に手を振る人々の姿も見える。人々が思い思いの夏休みを謳歌しているのを見ると、こちらも愉快な気分になる。


 五十島の先で長めのトンネルを抜けて、右に巻きながらもうひとつ短いトンネルを抜けると、いきなり阿賀野川の鉄橋の上に躍り出る。水量は豊かで、阿賀野「川」とは名ばかりで、実はダムなのでは思う。
 車窓を見ていると、線路際のいたるところにカメラの放列が敷かれていることに気づく。午前中に、「C57」という蒸気機関車が牽く「SLばんえつ物語」が走ったからであろう。彼らのほとんどはC57目当てのはずだが、その多くはC57が去った後も居残りして、僕が乗っている何の変哲もないディーゼルカーにもレンズを向けて律儀かつ熱心に撮影している。一通り写真を撮り終わると、ファインダーから目を離してこちらに手を振る人もいる。
 僕は列車の写真を撮る趣味はなく、もっぱら乗るに徹しているが、こうして手を振られると、「乗る」と「撮る」の違いはあれ、同じ鉄道好きとして心が通った気がしてうれしくなる。鉄道には、多くの人々を物心ともにつなぐ存在であってほしいと思う。


 阿賀野川の眺めも、1時間もすれば飽きてくる。川以外に見るものはないかときょろきょろしていると、何でもないものまで目に入ってくる。
 津川では3両編成の対向列車とすれ違う。こちらが先に駅に着いたのに、窓から顔を出した向こうの車掌がこちらを一瞥して先に出発していく。
 豊実(とよみ)という駅では、駅前広場に盆踊りの櫓を見つける。この休みを利用して故郷に帰った人々が踊るのだろう。あるいはもう踊り終わって片づけを待つだけなのかもしれない。
 上野尻(かみのじり)の自転車置き場の看板には「整然として置くこと」とある。自転車をきれいに並べろという趣旨の看板であるが、「して」は不要なのではと思う。なんにせよ、一度見たら忘れられない言い回しである。


 やがて列車は会津盆地に下りていき、喜多方で満員になると、定刻通り14時6分、会津若松に到着した。
 会津若松は磐越西線と只見線のジャンクションで、行き交う列車を眺めているだけで楽しい。駅そばを食って構内に戻ると、ちょうど折り返しのC57が車庫から出てきて客車をつなぐところであった。あたりが石炭の匂いに包まれ、構内の大多数の視線はC57に集まっている。
 その中で、10歳ぐらいの男の子がC57などそっちのけの真剣なまなざしで、郡山行きの銀色の電車を眺めたり写真を撮っている。蒸気機関車には老若男女誰もが注目するが、普通の電車にはほとんど見向きもしない。鉄道趣味に限らず、誰も見ないものにこそ新しい発見があるもので、若くしてあえてそれに意識を向けるその視座を大事にしてほしいと、彼の背中を見ながら静かに思う。


 会津若松からは只見線、会津鉄道、野岩鉄道、東武鉄道を経由して帰ることにした。
 朝、長岡で上越新幹線の上りが満席だったことを見ると、郡山からの東北新幹線も同じような混み具合だろう。それ以前に郡山行きの磐越西線が満員で、とても乗る気になれなかった。そして何よりも僕の家は、東武線の西新井駅の近くである。無計画がゆえになせるJR・私鉄混合、混雑回避の縦断行である。
 会津若松15時11分発の会津田島行きの客となる。2両編成の車内は閑散としている。乗り合わせた母子が車窓に見入っている。今日はなぜか年少の「同業者」に出会うことが多い。
 西若松で只見線と別れ、列車は阿賀川に沿って山へと分け入っていく。阿賀川は、先ほど磐越西線で眺めていた阿賀野川の上流である。谷と田んぼが徐々に狭くなってくると芦ノ牧温泉駅に着く。例の母子はここで降りていった。
 それを見送りながら、何となしに駅舎を見ると「ねこ駅長さん」という張り紙がある。どうやらこの駅には人のほかに猫も勤務しているらしい。その後ろにカメラのフラッシュで目を痛めてしまったので猫の写真を撮るなとの張り紙もある。
 僕は猫が大好きなので、その張り紙に胸を締め付けられる。人間のエゴで目を痛めた猫がいる。ここまで来るとかわいいとは口ばかりの、なかば公然たる虐待なのではないかと、人の業の深さにしばし瞑目する。
 芦ノ牧温泉から列車は渓谷となった阿賀川に沿って走る。あいにく渓谷は僕が座った席とは反対側を流れている。そのうちに晴れていた空が曇り始めて、やがて雨が降り出した。雨の南会津、湿っぽいが旅情はある。


 会津田島16時16分着。
 学校の体育館のような大きな駅舎に入って、西新井までの切符を買い求めることにする。
 窓口にはすでに列ができていて、僕の前に並んだ客は「北千住まで」とか「浅草までの特急券2枚」などと言っている。
 僕の番になって「西若松から西新井まで、乗車券だけ」というと、駅員はなぜか僕に一瞬驚いた顔を見せたあと、しばらく手許の運賃表とにらめっこして「4300円です」という。なぜ驚かれたのかよくわからないが、客の大多数はやはり特急で北千住や浅草まで行くのであって、西新井などという中途半端な駅まで買う客は少ないのかもしれない。「大師前まで」と言ってみてもよかったなとも思う。ここから東武線を飛び越えて、東急の中央林間まで買えるのかとも気になってしまう。




 会津田島16時41分発の下今市行きに乗る。ほかの客はあとの特急でも待っているらしく、2両編成に乗り込む客はまばらで、僕もひとりでボックスシートを悠々と占拠する。赤いボックスシートが並ぶ車内は、どこか私鉄離れした風情を漂わせていて、少し昔のJRの鈍行に乗っているような気がしてくる。ややもすると、長椅子全盛の今のJRの鈍行よりも旅情があるかもしれない。
 定刻通りに発車。線路は相変わらず阿賀川に沿って遡っていき、会津高原尾瀬口の先で分水嶺のトンネルに入る。トンネルを抜けると、列車は鬼怒川の支流、男鹿(おじか)川の谷に躍り出る。谷底をうかがうと、緑色の豊かな流れが下っていくのが見える。
 その深く刻まれた渓谷を鉄橋で渡ると、突然、列車はトンネルの中で停まる。見るとホームがある。湯西川温泉駅といって、地下鉄でもないのにトンネルの中にホームがある珍奇な構造の駅である。都会の地下鉄や地下路線は別として、山岳トンネルの途中にある駅は、ここを入れても日本に5つしかない。
 湯西川温泉駅のあるトンネルは長い。これを抜けると、窓ガラスがトンネルの冷気で曇っている。窓の曇りも晴れぬまま鬼怒川温泉に着くと、これまでの閑散ぶりとは打って変わってどっと乗ってくる。客層を見るに温泉帰りと思われるが、外国人がやたらと多い。日本人は昔に比べて温泉旅行をしなくなったというが、列車の乗客を見る限り、どうやらそれは嘘ではないらしい。
 僕が占していたボックスシートにも、異国のカップルが座る。座るだけならいいものを、そのうちに軽くいちゃつき始めて、こちらとしては視線を向ける先に迷う。
 もう外に見るべきものはないし、窓も曇っている。目の前にはいちゃつくカップル。つまらないので、下今市まで少し居眠りをする。


 下今市では浅草行きの特急けごんと南栗橋行きの鈍行に接続する。僕はもちろん鈍行に乗る。ホームで待っていると、金色のけばけばしい特急がやってきて、ホームの客のほとんどをさらっていく。東武は電車の色に節操のない会社だと思うが、金色となると節操がないどころではなく悪趣味である。凹の形をした椅子かとも思う。
 金色が去ると、待ちかねたかのようなわずかな時間差で、僕がこれから乗る鈍行がホームに滑り込んでくる。観光客や外国人は鈍行などに見向きもしないのだろう。
 外はすっかり暗くなった。雨は相変わらずじとじとと降っている。明神、下小代、北鹿沼と小さな駅に停まるたびに、地元の人と思われる数名が降りては雨の中に消えていく。乗る人は少ない。日光という世界的に著名な観光地が後背に控えていても、その足元にはこういう人々の生活や日常があると思うと、その光景が急に愛おしく思えてくる。


 電車は下今市からずっと急坂を下っているので、闇の中を俊足で飛ばしていく。その速度につられて窓ガラスに垂れた雨が滝のように後ろへと流れている。新栃木では東武宇都宮線からの客を拾い、その次の栃木で両毛線に乗り換えるためか、多少の乗り降りがあるが、他の小駅は駅舎とホームにわずかな光を湛えているだけである。駅間には家並みも少なく、まばらな街灯と人家の灯りのほかにはただ闇が広がる。僕の目はすっかり闇に慣れてしまった。
 南栗橋で、見慣れた銀色の通勤電車に乗り換える。緑色の長椅子と、行先の「中央林間」の表示が僕を急に日常に引き戻す。ずっと闇の中を走ってきた僕の目には、その銀色がことのほかまぶしく見えた。

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