明け方見た夢が「実家に置いてある古い時刻表が、いつの間にか勝手に古本屋に売り出される」という内容で、まったくもって寝た気がしない一夜であった。
2022年3月20日日曜日
2021年4月17日土曜日
旅する無職 2日目 小倉~直方~博多
僕は今まで幾多の旅をしてきたが、人を訪ねる旅というのは、実のところ数えるほどしかない。それは、僕が人付き合いが苦手なのと、旅といいながらも列車に乗ってばかりいて、誰かに会う時間を取れないことが多いからである。
多くの場合、僕は思い立っていきなりふらふらと旅に出るものだから、迎える側としても何らの予告もなく来訪されたところで、応対のしようがないのもわかる。
ところが僕が今いる福岡県には、せっかくなので訪ねてみたいと思う顔が何人か思い浮かぶ。先を急ぐ旅でもない。今日は列車に乗るのは控えめにして、3名の知人を訪ねることにする。
多くの場合、僕は思い立っていきなりふらふらと旅に出るものだから、迎える側としても何らの予告もなく来訪されたところで、応対のしようがないのもわかる。
ところが僕が今いる福岡県には、せっかくなので訪ねてみたいと思う顔が何人か思い浮かぶ。先を急ぐ旅でもない。今日は列車に乗るのは控えめにして、3名の知人を訪ねることにする。
2021年1月2日土曜日
2020年8月27日木曜日
旅する無職 0日目 ~序文~
旅は、日常との対比であるからおもしろいのだと思う。
我が国には、古くからケとハレという概念もあるし、旅の恥は掻き捨てという言葉もある。鬱屈とした日常の刻苦を旅で晴らす。知らない土地を訪ねて、自分の置かれた日常と比較してみて新たな知見を得る。だからこそ旅はおもしろいし、何度出かけても飽きることがない。
我が国には、古くからケとハレという概念もあるし、旅の恥は掻き捨てという言葉もある。鬱屈とした日常の刻苦を旅で晴らす。知らない土地を訪ねて、自分の置かれた日常と比較してみて新たな知見を得る。だからこそ旅はおもしろいし、何度出かけても飽きることがない。
2020年8月1日土曜日
はやく妖怪になりたい(2020年2月 境線)
木次線を乗り終えた僕は、松江で一畑電車に寄り道をして、出雲市から山陰本線のディーゼル鈍行で米子駅にやってきた。
列車から降りた僕を、「4番のりば」と書かれた古めかしいアンドン看板が迎えてくれる。時刻は18時。日の落ちかけた米子駅のホームは、思ったよりも寒い。
列車から降りた僕を、「4番のりば」と書かれた古めかしいアンドン看板が迎えてくれる。時刻は18時。日の落ちかけた米子駅のホームは、思ったよりも寒い。
登録:
投稿 (Atom)